世界に行って気づいた、母国ペルーの豊かさ
――ヴィルヒリオ・マルティネス氏
――元々は、世界を見てみたい、とシェフの仕事を選ばれたのだとか。
はい、父は弁護士でしたが、私は決まり切ったルールに従うのが嫌いで、若い頃はスケートボーダーになるのが夢でした。転倒して肩を痛めて、プロになることを諦め、世界を見て回ることができる仕事はなんだろう、と考えてシェフの道を選んだのです。当時のペルーは治安が悪く、家族で旅行に行くのは海外が中心で、母国にこのような生物多様性があることに気付いていなかったのです。でも、世界で西洋料理を中心とした料理を学ぶうちに、違和感を覚えるようになりました。自分はペルー人なのに、なぜ西洋料理のルールに従った料理をつくっているのだろう、と。そんなときに、モダンペルー料理の父と呼ばれるガストン・アクリオ氏に勧められ、ペルーに帰国して、2009年に【Central(セントラル)】をオープンしました。
――2022年現在、「世界のベストレストラン50」で2位の【Central】、同じ高度で育つ食材同士だけを組み合わせてつくる料理は、注目を集めていますね。
私は【Central】で、世界を高度差という視点から見るこのユニークなスタイルの料理に取り組みました。それまで私は、15年ほどずっとキッチンで料理だけをしていて、外でなにが起こっているのか気付いていなかった。シェフとしてのアイデンティティを築き上げるのには時間がかかりました。ニューヨーク、ロンドン、スペイン。どこにいても、ほかのシェフから学び、自分のアイデンティティを探したいと思っていました。でも、本質的な意味で、海外にいても、それは見つからなかった。ペルーに戻ったとき、ペルーという母国を理解することを通して、世界を発見できるような気がしたのです。全世界を、「再発見するために発見する」ような感覚です。そして実際、私のアイデンティティや、探していた革新的なものの見方は、それまで過ごした世界各地の場所ではなく、ペルーにありました。自分の文化に属さない西洋料理をやっていたときよりも、今日、私は、ペルーの生態系のように、自分の属する土地、人々に関わることを行なっていることに自信を持っています。
――ペルーは本当に多様な風土や食文化をもつ国です。文化を理解するのに、どのような方法を取ったのですか?
私たちの料理のスタイルはけっして私一人で完成させたわけではなく、妻のピア、妹のマレーナ、そして考古学者や人類学者も含めたチーム全体でつくり上げたものです。この高度差のスタイルを始める前に、6か月間レストランを閉めて、チームとともに徹底的にペルー各地の地理や人々の間で守り続けられてきた食文化、生態系について学びました。その後も、毎月、ペルー全土を旅してきました。母国ではありますが、この多様な国を理解するのには、おそらく10年ほどかかったと思います。アンデスの高地から海までを旅し、人々が自然をどのように見ているかに気づき、ペルーの異なった地域、たとえばアンデスとアマゾンの人々と伝統、大地を繋ぐことがどれほど重要であるかということに気づいたのです。この新しい高度差というアイデアを使って革新的アプローチを行ない、物語を伝え、最終的には料理をつくる。でもそのすべての過程は、完璧な料理をテーブルにのせるためでなく、私たちの心の中に完璧さを生み出すために行なっているのです。
――「心の中に完璧さを生み出す」ことには、どんな意味があるのでしょうか?
私たちは誰もが、大きな決断をしなければならない時代を生きていると思います。レストランをもつことは、多くの責任を意味します。私は「ファインダイニングには目的がある」と心から信じています。それは、完璧な料理を提供することではなく、むしろ食体験を超えたメッセージを伝え、広めることです。そして、それを通して、あなたがコミュニティにどれだけ貢献できるかが大切なのです。私たちが提供するのは、自然の摂理にかなったもの。それを提供することが、つくる私たち、食べるゲスト両方の心の中に完璧さを生み出すと思います。
美食を通した社会問題の解決
――以前、ペルーでは、都市部と地方の格差、とくに農村地域の貧困が問題になっていると話していらっしゃいました。いま行なっているコミュニティとのプロジェクトについて少し教えてください。
今日において、自分のためだけになにかをするというのは、じつは十分ではないのです。そこからは結局、数か月、あるいは数年後の深みというのは生まれないからです。私たちは農村部、とくに2017年にクスコ近郊にオープンした【MIL(ミル)】を拠点に、アンデス地方の様々なコミュニティと協力してとてもエキサイティングな活動を進めています。一緒に原種の野菜を育て、その野菜を使った料理を提供すること。伝統的な手法で草木染めを行ない、それでリマの支店【Kjolle(コイエ)】のメニューをいれる袋をつくったり、【MIL】の店内で販売するなど、この地域を豊かにし、伝統を保つためにどんなことをすればいいのか、つねに考えています。こうして行動することで、私たちは自然に恩返しをしていると考えています。そして活動を通して、私たちはまた、世界には理解すべきことがたくさんあると改めて気づくのです。
――そんな考え方の延長線上に、海外でのレストラン展開があるのですね。
私たちの好奇心は、いまやペルー国内だけにとどまりません。ペルーの「高度差ごとの生態系から物事を理解する」という視点を通して、世界を理解したいと思っているのです。当初、私たちがアマゾンやアンデスが未知の世界であったように、日本でも、未知のことはたくさんある。とてもエキサイティングです。そのアプローチで料理を捉えることは、私たちにとって革新性や創造性のためでもあり、地域に眠る伝統を維持するためでもあります。これは、料理人としての私たちが、根源的にもっている情熱なのです。
東京から発信するペルーの食の哲学
――7月1日に、東京に【MAZ(マス)】がオープンしました。なぜこの場所にレストランをつくろうと思ったのでしょうか?
東京のレストランシーンはとても素晴らしいと思います。また、日本には多様な食材を一つのコースに織り込む、懐石の文化、野菜を中心とした精進の文化などがあります。もちろん、多くの店があり、非常に競争率の高い東京でレストランをやることは簡単ではありません。でも、この成熟したフードシーンこそ、私たちが持っているレストランの哲学を伝える最良の場所だと思ったからです。
――この【MAZ】という店名の由来は、【MIL】の中にある研究センター、【Mater
Iniciativa(マテル・イニシアティバ)】のモットー「そこにはもっとある」、スペイン語で「もっと」という意味の“MAS”から来ていると聞いたのですが、なぜ最後をZにしているのですか?
いまは、拠点をアンデスにもっていますが、これからはアマゾンにも【MIL】のような拠点を持ちたい。そんな未来への希望や、すでにあるアンデスに加えて、アマゾンを世界と繋ぎたいという思いを込めて【MAZ】と付けました。また、アマゾンは南米に大きく広がっています。そこに、未来への広がりという意味も含めました。
――では、この【MAZ】では、どんな料理を出していきたいと考えていらっしゃいますか?
ペルーの9つの高度にある生態系、風景、地理、文化にインスピレーションを得た料理を、日本の食材80%、ペルーの食材20%というイメージでつくっていきたいと思っています。日本からは、おもにシーフードを。また、たくさんの根菜や様々な植物、ハーブ、果物も日本のものです。ペルーからは、アンデスの根菜とアマゾンの農家が育てたカカオ、私たちが栽培するコーヒーなどを使用しています。東京でペルーの生態系を旅するような、そんな食体験を提供したいと思っています。
――日本に来て、いちばん驚いたことはなんですか?
単純さと複雑さが高いレベルで共存していることです。シンプルに見えるものの裏に複雑な職人技があります。私はペルー人なので、一度にたくさんのことをやりたがる傾向があるのですが、ここ日本では人々が完璧なものを生み出すために、一つのことに集中している。それに、とてもインスピレーションを受けます。
【MAZ】の背景にある哲学とは
――では、自然との繋がりが深いシェフとして、どのようにいまの世界を捉えていますか? 世界において、私たちが直面している最大の問題はなんだと思われますか?
まず、食料危機が挙げられると思います。いま進めている一つのプロジェクトは、どうすればより多くの人々を養うことができるか、農業の現場とより深く繋がることで、その状況に対応できるシステムをつくることです。食糧危機は、そう遠くない未来に現実に起きることだと私は考えています。ですから、次の世代に持ち越すのではなく、私たち自身がこの問題への対応をリードすることになるでしょう。具体的には、地域コミュニティと協力して、土壌の問題や、じゃがいもの生産量が増えていないのはなぜか、といったテーマについて調べています。
――そして、【MIL】では、シードバンクとして、生物多様性を守る取り組みも行なっていますね。
生物多様性を守るのと同時に、私たちは食や農にまつわる伝統や物事をカタログ化し、それが失われないようにしようと思っています。ケチュアやインカの時代の人たちは文字をもたなかったので、その時代の多くは、謎に包まれています。少なくともいま残っている文化を、文字や写真、映像に残すことで、未来に繋いでいきたい。私たちは、いわゆる「サステナブルな」レストランをつくりたいのではなく、サステナブルな働きかたをする、サステナブルな人々のグループをつくりたいと思っているのです。それも、アマゾンやアンデスの母なる大地に属する方法で。たとえば、伝統に従った農業を保ち続けていくことも、私たちができるもっとも自然なことの一つです
――【MAZ】でそんな伝統的な手法で育てられた食材を使い、私たちがいただくことで、ペルーの人々が原種の作物を育てる助けとなり、生物多様性を守ることにも繋がっていくのですね。あなたの店では、原種のじゃがいもなど、これまでつつましいとされてきた食材が主役になっています。未来における、ラグジュアリーとはどうなっていくのでしょうか?
ラグジュアリーとは、高級レストランでお金を使うことではないと思います。いちばん大切なのは、いい食べ物で楽しく充足した時間を過ごすことそのものです。そして、農業はすべての根源です。これからの美食とは、農を通して自然と繋がり、食材の起源や、新しい風景の生産者や食材を知る「知の楽しみ」を含んだものであり、未来のラグジュアリーとはこういったインスピレーションを受けることそのものだと思います。
私たちはここ、【MAZ】で、ペルーで受け継がれてきた私たちの食や技術、それを支える人々がどのように素晴らしいかを伝えたい。そして、ペルーの自然の生態系について伝える、この【MAZ】自体が、東京にある、もう一つの小さな箱庭のような生態系でもあります。いい影響を与えるインスピレーションを、この場所から感じ取ってほしいと思います。
東京の厨房を取り仕切る若き才能
――サンティアゴ・フェルナンデス氏
――ベネズエラ出身で、東京には4月に到着、これまでもヴィルヒリオ氏とともに世界各国のポップアップに参加してきましたが、アジアに住むのは初めてということですね。日本で過ごしてみて、どう感じましたか?
日本では、伝統と食材にとても敬意を払っていることにとても驚いています。それは、私たちが【Central】や【MIL】で食材を扱うときの方法に非常に似ていると思います。ですから、私たちの哲学を表現するうえで非常にいいと思いますし、日本人の感性や人や物に対する敬意などにも、とても感銘を受けました。
――まだ26歳ということなのですが、ヴィルヒリオ氏にその才能が認められ、クリエイティブチームに参加し、5年間一緒に働いてきたと聞きました。
はい、私はスペインのバスク料理大学で学び、卒業前に選んだ研究テーマは「ワティア」(アンデスの高地で伝統的に行なわれている、土の中で根菜を焼き上げる伝統的な調理法)で、ペルーでリサーチをすると同時に、その頃からすでに【Central】と【Mater
Iniciativa】でいくつかの料理をつくっていました。そして、大学を卒業後、そのまま【Central】に加わった形です。ヴィルヒリオのすぐそばで、一緒に仕事をするのは、とても光栄なことでした。最終的には、【Central】のヘッドシェフも務めました。振り返ってみると、長い旅のように感じますね。
――そばで見ていて、ヴィルヒリオ氏はどんなシェフだと思いますか?
彼が私に教えてくれたことは数えきれませんし、メンターのような存在です。彼が自然を理解する方法はとても芸術的で、素晴らしい感性を持っています。とくに料理の美学を発見する方法は、私にとってもっとも印象的でした。そして彼から長年にわたって、自然を解釈する方法を学んできたと思います。
――ヴィルヒリオ氏は、東京の厨房にいるわけではありませんが、毎日の料理をどのようにつくっていますか?
一緒に働き始めた最初のうちは、彼の考えを理解することがとても難しかったですが、長年一緒に旅をして料理を生み出して来ましたから、いまはもう、彼がなにを好きかを知っていますし、ときには言葉を交わす必要すらないほどです。とくに味覚の部分は、完全に共有することができていると思います。
――すでに産地巡りをされて、多くの日本の生産者に会ったと聞きました。
たとえば秋田では、イワナやジュンサイを見つけました。なかでもジュンサイは、ラテンアメリカでは見かけない、ぬるぬるした食感がとてもおもしろく、いまのメニューで使っています。それから、素晴らしい偶然だったのですが、千葉ではペルーのじゃがいもや、アンデスのハーブ「ワカタイ」などの食材をすでに育てているところもあって、驚きました。これらを使って、料理をつくっています。料理をつくるうえでは、深遠な日本の文化を理解し、解釈したいと思います。このプロセス、挑戦することは私にとってもっとも興味深いことです。物事を誤解せずにきちんと理解し、すべての伝統を尊重することです。私にとってそれがもっとも重要です。
――では、日本のゲストにメッセージをお願いします。
日本というこの場所で、ペルーの私たちが考える哲学を発信するうえで、日本の食文化に敬意を払うことがとても大切だと考えています。日本に来て3か月、日本の食材の質に感動していますし、その背後にある職人技に、強い感銘を受けています。【MAZ】に来てくださるゲストの方々が、それと同じような熱量で、ペルーの食材と私たちが提案する食の哲学を受け取ってくれれば、それは、素晴らしい文化の交換になると思いますし、これほど嬉しいことはありません。
撮影 / 佐藤 顕子 取材・文 / 仲山 今日子 2022.6.29