研究を重ねて編み出した唯一無二の“白いとんかつ”職人
【成蔵】三谷 成藏氏とんかつ
とんかつの行列店として有名な高田馬場の【成蔵】が、2019年7月より南阿佐ヶ谷に移転オープン。完全予約制となった今も常に満席状態で、人気は衰えない。人々が集まるその味の秘密とは──。紆余曲折を経て完成した「白いとんかつ」の誕生物語について、店主の三谷成藏氏にお話を伺った。
研究を重ねて編み出した唯一無二の“白いとんかつ”職人
とんかつの行列店として有名な高田馬場の【成蔵】が、2019年7月より南阿佐ヶ谷に移転オープン。完全予約制となった今も常に満席状態で、人気は衰えない。人々が集まるその味の秘密とは──。紆余曲折を経て完成した「白いとんかつ」の誕生物語について、店主の三谷成藏氏にお話を伺った。
──今やとんかつ好きで知らない者はいないほど有名な【成蔵】ですが、三谷さんがとんかつを始めようと思った、そもそものきっかけはなんですか?
実は大学卒業後、最初に就職したのは百貨店なんです。その頃は自分がとんかつ屋になるとは思ってもいませんでした。けれど百貨店の職業柄、飲みなどの人付き合いが多く、お酒が苦手な僕の肌に合わなくて。父親に転職の相談をしたら、叔父が経営する新橋のとんかつ屋【燕楽】はどうかと言われ、働かせてもらうことにしました。それから11年ほど、とんかつの基本を学ばせていただきました。
──【燕楽】では11年も続いたんですね。修業後はすぐ独立されたのですか?
独立するつもりでお店を辞めたのですが、決めていた物件がだめになってしまったんです。せっかくなら色々なお店で学んでみようと考えを切り替えて、とんかつチェーン店で2か月ほど働きました。その後、夜でもお客さんに来てもらうためにお酒に合う揚げ物を学ぼうと思い、串揚げ屋で1年ほど、白子やアスパラなどを揚げる勉強をさせてもらいました。それから割烹料理屋でも1年ほど働かせてもらい、食材によるパン粉のつけ方の違いや、カウンター席での接客のふるまい方などを学びました。最後に、半年ほどとんかつ屋に勤め、久々にとんかつに衣をつけましたね(笑)。
──約2年ぶりのとんかつ屋ですね(笑)。その後独立され、2010年の8月、高田馬場に【成蔵】をオープンされました。ものすごい行列店でしたよね!
それが実は、オープン当初はお客さんがほとんど来なくて、お店がすごく暇だったんです。廃棄してしまう食材の費用を少しでも抑えるために、肉の質を落とそうか、パン粉やラードを安いものに変えようかと何度も悩みました。でも、できなかった。それをやってしまうと、自分が“おいしい”と思うとんかつとはまったく別のものをつくることになるので。食材を変えるときは安いものではなく、よりいいものに変えるようにして、自分が思う“おいしいもの”をつくり続けていました。
──どんなにお客さんが来なくても、実直に改良を重ねていったのですね。
お店が暇な分、時間がたっぷりあったので。例えば火入れの温度を少しずつ変えてみたりと実験を繰り返しました。急激に油の温度を上げてしまうと、肉の外側だけに火が入り、周りはグレーだけど中はピンクになってしまって均一にならない。そこで、泡も立たないぐらいの低温で入れ初め、その代わりに揚げる時間を長くしてみると、均一に火が通ることに気がつきました。そんなことを何度も繰り返すうちに「じっくり低温で揚げる」というスタイルが生まれました。オープンから3年ぐらいでほぼ今の形のとんかつになり、行列ができるようになったのは4,5年目ぐらいからでしたね。
──その後、オープンから9年目にして移転のために一時閉店されました。最後は並ぶ人の数がすごかったですね。
はい、ありがたいことに。移転前の最後の頃は、行列を減らすために時間指定の整理券を配ることにしたのですが、逆に整理券の配布を待つお客さんで行列になってしまって。19時頃に並んでいる方がいたので「すみません、今日はもう終わりなんです」と伝えると、「いえ、明日の整理券のために並んでます!」と、前夜から並ぼうとされていたのには驚きました。
──すごい人気ですね。それほどまでに人々を魅了する【成蔵】さんのとんかつの魅力は、ご自身ではなんだと思いますか?
お客さんが来なかった時期でも質を落とさずに、自分が思う“おいしいもの”をつくり続けていたから、賛同してくれるお客さんが増えてくださったのかもしれません。分かってもらえたことがありがたいです。
──営業中も、揚げている音がほとんど聞こえないほど低温で調理されていますよね。それほど低い温度で揚げるのは、なぜでしょうか?
これにはいくつか理由があって、まず、油を急激に熱すると酸化してしまうので、それを防ぐためにゆっくりと温度を上げているのがひとつ。次に、先ほど説明した“肉に均一に火を入れる”ため。それから、ゆっくり火を入れることで肉の水分を外に逃がさないようにもしています。高温で揚げると、肉を包んだパン粉と卵の膜に隙間が空いて、肉汁がこぼれ出てしまうからです。そして最後に、パン粉に油を吸わせないため。高温だとパン粉の水分が一気に抜けて油を吸ってしまいます。110℃ぐらいの低温で20分ほど、パン粉の水分をじっくり出しつつ揚げると、油を吸わずに軽やかな衣に仕上がります。
──だから口の中に入れたとき、衣がふんわりと溶けていくのですね!
とんかつを口に入れて、最初に舌に触れるのは衣ですよね。なので、僕がとんかつで一番大事にしているのは“衣の食感”なんです。元々は別のパン粉をつかっていて、そのパン粉屋さんもよかったのですが、高田馬場時代に「共栄フード」の方が売り込みに来られて。最初はお断りしていましたが、何度も来てくださるので試しにサンプルをつかってみると、剣立ちがよく、サクサクと立ってくる。食べると口の中で衣がさっと消えて、すぐに肉の味がくるので、これは理想の形だと。パン粉の粗さも【成蔵】仕様で用意してもらっています。
──【成蔵】の軽やかなとんかつの秘密は“衣にあり”ですね。それにしても、低温で長時間油に入れているのに、なぜカラッと揚がるのでしょうか?
実はラードにも秘密があります。背脂のラードではなく融点の高い腸間膜油をつかっているので、熱し辛いですがその分冷めにくい。油は熱いうちはさらりとしているので、鍋から上げたときの油切れがよく、さっぱりと揚がるんです。そうして油を切っている間に、余熱で優しく中心まで火が入ります。火を通した分だけ寝かせて肉汁を戻すローストビーフようなイメージですね。
──『ささみかつ』も人気ですよね。なぜあんなにふんわりとやわらかで、ジューシーに仕上がるのでしょうか?
実は焼鳥屋さんに伺った方法で仕込んでいます。鶏肉を塩水に漬け込んで水分を含ませることで、火を入れた際のパサつきをおさえつつ、しっかりと下味がつくんです。何もつけずに食べても味があり、力を入れなくても噛み切れるほどやわらかく仕上がります。
──人気店の高田馬場のお店を手放して、こちらの南阿佐ヶ谷に移転されたのはなぜでしょうか?
独立したいという弟子に高田馬場のお店を任せようと思ったんです。僕の名前の三谷成藏から取った【成蔵】という店名でやっている以上、営業中は弟子には揚げさせず、すべて僕が揚げていました。弟子が2021年の3月あたりをめどに出身地の群馬でお店を持ちたいと言っていたので、その前に自分でとんかつを揚げられる場をつくってあげたかったんです。高田馬場の店は、今は平仮名の【なりくら】という店名で弟子が揚げています。それともうひとつ、僕自身が少し落ち着いた場所でお店をやりたくなった、というのも理由ですね。
──お弟子さんのためなのですね。でも人気店を手放して、都心から少し離れた場所に移転することに不安はありませんでしたか?
不安はありましたね。南阿佐ヶ谷でのオープン当日の朝、窓からのぞいてもお客さんが誰も並んでいなくて。オープン一時間前ぐらいになっても誰も来ない。移転のことをまったく宣伝していなかったので、「やってしまったかな……」と(笑)。今は昼と夜で48人ずつお客さんを入れているのですが、再オープンから3日間ほどは昼も夜も20人ずつぐらいしか来ませんでした。
──今のお客さんの半数以下! それは不安になりますね。
でも、初めて迎えた土曜日の朝9時前に外を見ると、50人ぐらいお客さんがいて。来てくれたことには安心したのですが、住宅街なのにとても人が集まってしまったんです。整理券を配ってみたりはしたのですが、対応がなかなか難しく、今の完全予約制にすることにしました。
──移転から数ヶ月経ち、少し落ち着かれたかと思います。今後やりたいことなどはありますか?
まだ漠然としていて具体的ではないのですが、だんだんと外国のお客さんも来てくれるようになったので、いつか海外展開ができたらいいなと思っています。というのも、とんかつという食べ物はまだ海外ではあまり知られていなくて、衣を全部外して食べる方や、ロースを注文したのに脂身を全部残して食べる方も多いんです。今後は外国の方にも、とんかつのおいしさや楽しみ方を知ってもらえるような場をつくっていければ嬉しいですね。
撮影/今井 裕治 取材・文/関口 潤(ヒトサラ編集部) 2019.11.20取材
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