1. ヒトサラ
崎 楓真 氏崎 楓真 氏崎 楓真 氏
崎 楓真 氏崎 楓真 氏崎 楓真 氏

古の歳時記で学んだ美意識をもとに、 「日本文化の現代語訳」を

【いづく】崎 楓真日本料理

銀座で店を構える。料理人の憧れを23歳という若さでいち早く実現、贅を凝らす店が並ぶ銀座エリアにありながら「高価な食材を使った価格競争に参入するのではなく、違うおいしさを提供したい」と、その姿勢はあくまでもしなやかな自然体だ。【いづく】の名は安寧の「寧」の本字「寍」から。“ウ冠”は屋根、人の“心”があり、下に“皿”すなわち料理がある。人の営みに必要なものが揃い、安定した状態を表す。そして、禅問答の「寧(いづく)んぞなんぞ」、つまり「それはどこから来ているんだろう?」という問いかけの言葉が、自分の料理に対する姿勢でもあるという。京都吉兆で日本料理の美意識を学んだ、若き才能はいかにして花開いたのか。

Interview

高校生でレストラン営業、若さと経験値の両立

いづくの文字には、2月は節分にちなんで柊鰯(ひいらぎいわし)、3月は雛祭りのつるし雛など、季節ごとの飾りが飾られる。

——弱冠23歳で銀座のお店を任されるなど、日本料理界の新星として注目を集めていらっしゃる崎さんですが、どのように食の仕事に就くことになったのかを教えていただけますか?

実家が居酒屋を営んでいて、父の料理を食べて育ちました。仕込みの時に、弁当のおかず用を取り分けて冷蔵庫で冷やして母が詰めてくれる、それがとてもおいしかったこと。家に帰ってくると、父の料理を楽しみながら幸せそうにしている人たちの姿を見て、「食」っていいものだなと感じて、しぜんにこの仕事に就きました。

とはいえ、父の店では接客の手伝いくらいで、本格的に料理を学んだのは、三重県にある相可高校の食物調理科に入学してからです。

——相可高校は「高校生レストラン」が有名で、ドラマになったりもしましたがいろんな活動をしていることで知られていますよね。

食物調理科は、卒業時に調理師免許が取れる学科で、さらに50人弱の生徒が参加する「調理クラブ」という部活があって、私が部長をしていました。週末は部活動として仕込みをして、自分たちでレストランを運営していました。

——高校生でレストラン営業をするのは大変だと思いますし、お店も相当大きかったようですね。どんな毎日だったんですか?

毎週末、地元のスーパーに大体800から1000個ぐらいのお弁当を卸して、その後レストランで250食ほどの定食、15食から20食ぐらいのコース料理を提供していたので、レストラン営業以外にもやることはたくさんありました。規模感としても、普通の店と比べてはるかに大きかったのかなと思います。

「調理クラブ」に入っているか否かで、授業中の調理の速さも一目瞭然。部員はみな、そのハードワークに叩き上げられたそう。

——授業との両立も大変でしたでしょうね。

授業の調理実習はもちろんなんですが、「調理クラブ」に入っている子たちは毎週末の仕込みの量がすさまじかった。毎朝5時過ぎの電車に乗って学校に行っていました。もうあの生活には戻りたくないですね(笑)。

ただ、レストランで売り上げが出ると、調理クラブの所属員の割合に応じて、各クラスに調理実習の食材として還元されることになっていました。伊勢エビが一人一匹使えたり、アワビやハモ、スッポンなど、大変な分、高校生ではふつう扱えないような食材にどんどん触れられたのは大きな経験だったと思います。

——調理クラブの部長として、多くのコンクールにも参加し、合計30ほどの賞を取られたとか。そして海外イベントで料理をされたことが、【京都吉兆】で働く一つのきっかけとなったそうですね。

高校時代から海外で調理することが何回かありました。「ミラノ万博」でも、各都道府県が料理を披露する機会があり、三重県代表として相可高校調理クラブで料理をしました。その次が、京都府を代表した嵐山【京都吉兆】で。調理部の部長として、私が引き継ぎをし、その際に声をかけていただいたのがきっかけです。

【京都吉兆】で培われた審美眼

暑い時期は同じ手もみの「きらり31」の玉露の茶葉を丁寧に抽出した氷出しで。

——日本料理をやるにあたって【京都吉兆】はすごく大きな存在でもあると思うのですが、どんなことを学ばれましたか?

料理の基礎技術はもちろんですけど、日本文化に対しての解像度がすごく上がりました。

京都吉兆では2年目に玄関番といって、お客さまをお出迎えしたり、苔や庭の手入れ、竹細工などを担当したりします。それを経験すると設えやお庭、お軸、お箸を見たりするだけで、その店がどこまで行き届いているかに気づけるようになってきます。そうした審美眼を養えたのは、とても大きかったなと思います。

——料理人の方が、竹細工もされているんですか?

【京都吉兆】では、手入れが行き届いている証拠として、井戸の蓋からお箸に至るまで、切り立ての青竹で手づくりした竹細工でおもてなしをします。夏になると、日差しが強くて数時間で色が変わってしまうので、お客さまのお見送りが終わった瞬間に、井戸の蓋をすぐ庭の川に入れて冷却したり、お箸を冷蔵庫に入れたり、そうした工夫もしていました。

また、毎週書道の先生が来てくださったり、休みの日には先輩方のお茶のお稽古に御相伴させていただいたりと、休みの日も使って文化に多く触れさせていただいておりました。

最も格式が高い室礼は茶室。その壁に使われる素材を使った手漉き和紙に、イカ墨のインクで手書きした献立。

——【京都吉兆】を離れ、しばらくフリーランスで働かれた後、2021年11月、23歳でオープンしたのが、こちらの【いづく】。若くしての独立は、どんな思いからですか?

そうですね。もちろん修業を何十年もされるのも、すごいことだなと思うんですが、私は自分を看板にしてやりたいという思いが強かったことと、トップとして働く年数を重視したかったというふたつの思いがありました。シェフの方々が見ている景色を、自分も早く見たい、と。

いまの従業員はソムリエも含め、全員が僕よりも年下です。みんな生き生きと働いていて、それをお客さまが親御さんのように温かい目で見守ってくださる、温もりのある空間が強みかなと思います。

——開店後すぐは低めの価格から始めることもありますが、最初から“税サ込3万円”と、わりと高価格帯でスタートされていますね。

これは、私が戦いたいと思っている価格帯であること。それに自分が表現したいことや、自分がやりたいことっていうのが実現できる金額として、いまはこの価格に設定しています。

なので、やりたいことが少しずつ変われば、値段も変わるかもしれません。

一枚板の杉のカウンター。やや大振りの会席盆は、盛り付けに大きな径の洋皿も使うため。器道楽の目も楽しませる。

「日本文化の現代語訳」

——伝統的な茶懐石は、提供方法や順番にさまざまな“決まりごと”があると思うのですが、ご自身のスタイルをどのように表現されますか?

つねに、歳時記を持ち歩いて勉強していまして、それを読んでいると何百年か経った現在でも、当時の価値観の美しさ、完成された美というものを感じます。それを追求された方々の思考をなぞる意味で、その勉強はとても楽しいです。

ただ同時に、いまを生きる私たちにとって当時の景色は実際には見られない、想像がつかない世界観にもなっています。だから、昔の価値観を表現するばかりでもいけない。仮に、古の人たちが現代に生きていたら何に魅力を見出すでしょうか。

——伝統を学びつつ、いまの自分の価値観や美意識というのを大切にするということですね。

そうです。伝統と一緒に、目の前の現実世界の中にある美しさや世界観を表現できれば、それがいまだからできる料理であると思います。それは「日本文化の現代語訳」のようなことではないかと思い、それを仕事としていきたいです。

日本料理は伝統的に「走り」に注目しがちなところがあります。確かに、何倍も値段がするような初物を仕入れられるルートを持つのも素晴らしいですが、そこに参入するよりは、「名残り」だからこそできる仕立てに目を向けたりするのが、私はいまの時代らしいかな、と思います。

秋の松茸、冬場のカニのようなその時節の目を惹く食材もありますが、その価格競争に参入して、金額が上がってしまうよりも、その時期のほかのおいしい食材、たとえば冬ならば本ししゃもなどを使った仕立てをするのが自分らしいのかな、と。

祭や行事、四季の風物について学ぶため、いつも持ち歩いている歳時記は、器づかいや季節感の参考にも。

——そして、【いづく】には薪窯がありますよね。日本料理は炭焼きが多いと思うのですが、薪によって表現できる幅は広がりますか?

薪は、炭よりも火力が弱い分、保水がしやすいという特性があります。水分コントロールをしつつ、焼き方次第で、必要以上に調味をしなくても味を凝縮させられます。

ただ、日本料理らしさと、ある意味プリミティブな薪料理の良さの、バランスを取らないといけない。だしの風味や食材自体の活かし方も変わってくるかもしれない。まだまだ新しい日本料理が提案できるんじゃないかと、毎日楽しく考えています。

薪には、より原始的なイメージがあると思いますが、仮に原始人が日本料理を学んだらどうなるのか、なんていうのもおもしろそうですよね。

——洗練された京懐石の要素と、原始的でワイルドな力強さ。それを同時に表現できたら、確かにおもしろそうですね。

文化的な背景も持ちながら技術として研鑽されてきた日本料理に、原始的な調理法を用いる。理論と本能の両方をくすぐる料理、そのバランスが取れたらおもしろいんじゃないかなと思います。

味付けは最小限、素材を活かした料理に野趣を添える熾火(おきび)焼き。香ばしい香りも自然が生み出す調味料だ。

——食材にフォーカスして、調味料もなるべく加えず、食材を邪魔するものをあまり加えたくないとおっしゃっていましたね。

たとえば、昆布を一つとっても天然水で出す場合と浄水で出す場合は違うので、店では4種類の水を使い分けています。天然のミネラルウォーターは同じものでも時により成分にばらつきがあって、一方で浄水は水質が安定しているんです。

逆に天然水の良さは、70点の時もあれば、突然120点になることもある。バランスにムラがあるところに面白みを感じています。そんな自然のバランスを取って昇華させ、ちゃんと料理として成り立たせるのが、間に入っている僕の仕事なのかな、と。

コントロールできる部分とできない部分が調和すると、何か新しい料理が生まれるんじゃないかとも思います。

——それは崎さんの自然への向き合い方や美意識であったりもするのでしょうか?

そうですね。たとえばいまと昔では、紅葉の楽しみ方は違います。

いまはライトアップができるので、真っ暗な空に紅葉の赤が映えている景色を美しいと感じるけれども、昔はもっと夜の月が明るくて青白く光っていたから、紅葉が赤に見えなかったかもしれない。高層ビルからのきらめく夜景に感じる美しさの感性も、昔はなかったでしょう。

なによりいまある自分たちの世界に美を見出す感性そのものが美しいと感じます。

——長い歴史の中で受け継がれてきたものが、いま日本料理と呼ばれているわけなんですけれども、未来に残していきたい日本料理の美意識や、価値観をどのように捉えていらっしゃいますか?

技術的な部分は文献などである程度残っていくと思いますが、受け継ぐ上で私がとくに大切にしているのは、目には見えない概念のようなものですね。昔の方々の美意識を知って、「うわ、かっこいいなぁ」とか「粋だなあ」と思える感覚が、昔もいまも、そして未来も変わらずに、共通認識として持てていたら美しいな、と思います。

「寍 - いづく」は目指すべき状態

基本的に、水の味を変える金属製の道具は使わない。日本の水の柔らかさが、昆布と涙豆の甘味にぴったり。

——お店がオープンしたばかりではあるんですけれども、今後やりたいことはどんなことでしょうか。

いまの飲食業界では、私たちの世代の方々がまだまだ台頭してきていないので、その筆頭になりたいと思いつつ、大先輩方が築いてきた文化を継承できたらいいなと思ってます。

店舗外での活動では、環境やウェルネス系などの慈善事業につながるようなものを考えられたらいいなと思っています。うちの店で使っているいちごは実は障がい者の方がつくっているものなんですが、味が本当にいいから選んで使わせていただいてるんです。

——はたから見ると順風満帆に見えるのですが、じつは自分の中では「そんなことない」と思うような瞬間もありますか?

そうですね……。カウンターに立つ以上、自分自身も商品だと思っていて、営業しているときは自信過剰ぐらいの自信を持って臨んでいます。だけど、営業が終わったらそれをちゃんとオフにするようにしています。正直に言えば、営業中の自信はほぼ虚勢みたいな側面もありますね。

だけど、そのギャップをちゃんと自分の中で埋めようとするからこそ、怠慢にならないし、驕らずにいられるので、そのギャップは持っておいたほうがいいとも思っています。

「シェフ自身が、幸せで満ち足りた人生を過ごすからこそ、人を幸せにする料理ができる」と考えている。

——営業をしていて、ショックを受けたり落ち込んだりすることもありますか?

同業の方々がいらっしゃったときの反応は、やっぱり気になりますよね。口には出されないんですが、いいか悪いかは伝わってきます。その原因が自分で想像がついてしまうときは、やっぱうちひしがれますね。

「もっとよくお出しできるタイミングがあったはずなのに」とか、悔しさが残ります。

——でもそれも含めて、つねに前向きに力にしていくということですね。

それは間違いなくありますね。昨日よりも今日が良くなるように、日々やり方を変えて、考え方を変えてやっています。

——ご自身のお料理、お客さまにどんなふうに楽しんでもらいたいですか。

私のお料理は、野球の4番バッターのような派手なメイン食材があるコースではなくて、全体として滋味深く、食べ終わったあとの満足度が高いコースだと思っています。

素材を主役にしたシンプルな仕立て、どこか故郷を思い出すようなお料理で、懐かしさのようなものも一緒にご提供できたらと思っています。【いづく】の名のとおり、お客さまに「心の安らぎ」というものを感じていただけること、それが目指しているところです。

2022.4.3

味わいたい至極の逸品

『金 きんめ -金目鯛の薪焼き』

魚は特製の薪台の熾火で焼き上げる。炭よりもしっとりとした焼き上がりの薪を使うことで、外側はカリッと仕上げ、味を凝縮させつつ、内側がよりジューシーになる。薪台で焼き上げた金目鯛は、甲殻類を思わせる香ばしさ。ほんの少しだけ土佐酢を垂らして、ほのかな酸味と醤油の香りをまとわせて味を引き締める。蜂蜜のような香りの白銀という品種のユリ根を長時間ローストし、甘味を引き出してから薪で香ばしく仕上げたものを添える。

崎 楓真

1997年、三重県生まれ。父が居酒屋を経営しており、自然に料理の道を志す。三重県立相可高等学校食物調理学科在学時から、調理クラブ部長として、レストラン【まごの店】で料理を提供するほか、数々のコンクールに参加。海外でも、イタリア・ミラノ万博で三重県代表として料理を披露。卒業後の2014年から【京都吉兆嵐山本店】で3年半研鑽を積む。著名人の専属料理人を経て、2021年11月、23歳で【いづく】料理長に。
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