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  3. 「ドンブラボー」平 雅一氏インタビュー ー最高級の食体験をカジュアルに
平 雅一 氏平 雅一 氏平 雅一 氏
平 雅一 氏平 雅一 氏平 雅一 氏

徹底的に考え抜いた上質なおいしさを、
カジュアルに提供する粋

【ドンブラボー】平 雅一イタリア料理

「一人3万円の料理、なんてガラじゃないんで。自分がやるんだったら、料理に興味がない人が食べに来てもいいと思える値段で、かつ料理人が食べても楽しんでもらえる料理。それが、カッコいいって思うんです」。白いTシャツにエプロンのシンプルないでたちだが、よく見ればそのTシャツも、生地にこだわった上質なものなのが見て取れる。【ドンブラボー】平雅一シェフが生み出す、そんな気取らない上質を求めて、都心から電車で30分以上かけてやってくる美食家が後を絶たない。「『平』って名前通り、僕は平凡なんです」とさらりと話す裏で、営業終了後に都心まで出かけては、テーマを決めて朝まで仲間と勉強会をする熱さを隠し持つ。そんな平シェフが描く、未来の展望とは。

Interview

「料理は人を喜ばせ、その命を預かる仕事」

「いまの価格よりコース料金を下げたとしても、お客様にちゃんと満足や感動をしていただけて、お店も稼げるシステムを将来的につくりたいと思っています」

――京王線の国領駅から徒歩5分ほど、元々お父様がやっていた鉄板焼き店のあったこの【ドンブラボー】の場所自体が、平シェフの原点なんですね。

はい。子どもの頃から、人として父をとても尊敬しています。父は料理を追究するタイプというよりも、料理という道具を使って人を喜ばすことが楽しい、という仕事をしていたので、その姿を目の前で見ていて、格好いいし、楽しそうだな、と感じていました。それで、自分も必然的にそういう道を選んでいました。

――子どもの頃から、お父様のお店が身近にあったわけですね。

そうですね。学校が終わると毎日のようにお店に寄っていました。実は、僕がレストランをやる上でとても好きなのが、 “準備の時間”なんです。レストランのスタッフとは、普通の家族よりも長く時間を過ごす、もう一つの家族のような存在。みんなと一緒にまかないを食べて、時にはケンカもして、仲直りして。そうしてできあがったものをお客さんに食べてもらって、喜んでもらう。その一連の流れを子どもの頃から見ていて、憧れていました。

平シェフの父がやっていた鉄板焼き店。ダジャレを飛ばしつつ手際よく様々な料理を仕上げてゆく姿を見て憧れたのが、原点だ。写真はお店の最終日。平シェフも制服を着て参加したそう

――でも、鉄板焼きではなく、イタリアンを選ばれた。

はい。単純に、イタリア料理っておいしいなと思ったのが理由です。鉄板焼き店を継がなかったから、当初は創業者のばあちゃんに「平の家はもうおしまいだ」と泣かれましたけれど(笑)、今は理解してくれています。

――本場イタリアのミシュラン星付き店をはじめ、国内外のイタリアンの名店で修業されてきていらっしゃいますよね。ご自身のスタイルはどんな風に築いてこられましたか?

今までいろんなレストランで働いてきましたけれど、実は「言われた通りにやる」というのがとても苦手でした。

――それは、こうした方がもっとおいしいんじゃないかとか、いろいろ考えてしまってできないのか、それとも、不器用なタイプだから?

両方です。人が考えたものって、とても愛情が入っているもの。でも、例えば盛り付けがちょっとずれたら、味が変わって、その人がつくったイメージと異なってしまう。そんな風に考え始めると、完璧に覚えられた気がしなくて。その人の料理はその人にしかつくれない、と思っているからこそ、まねるのが苦痛だったのです。

――そこまで一つのお皿に対する敬意があるからこそ、その皿を生み出した本人ではない、自分の余計な感情を入れることはどうなのか、と考えてしまう。

はい。僕にとっての基準となったお店が、当時広尾にあった林冬青シェフの【アッカ】(現在は岡山に移転)。林シェフがすごい熱量で料理に向き合っているのを見てきて、料理は、本当に神聖なものだと感じるようになりました。特に、料理は音楽やアートと違って、口に入るもの、人の命を預かっているものという思いもあるので、すごく緊張します。

――そして、32歳でシェフになって、自分が愛情を注いだ、自分の料理をつくれるようになった。それが、そんなもどかしい状況を抜け出す一つの転機だったと。

はい、初めて自分で考えて自分で決められるようになって、スイッチが入ったというか。自分の料理を求めてお客さんが来てくれるようになってきたので、そこからずっと料理のことを考えるようになりました。それと同時に、お客さんが喜んでくれる確率も上がってきたので、そこで快感を得たら、ずっと止まらないで、今に至っているという感じです。

「料理はストレスの源で、同時にリラックスツール。苦しさの中に本当の楽しさがある。そういうものでしょう?」

自分の料理だから、自分が正解になる。だからこそ、妥協はできない

熟成じゃがいものピュレと優しい火入れのサワラに、ふきのとうやみょうがを忍ばせ、生の黒大根、ゴルゴンゾーラのスノーを飾る

――提供されているお料理には、とてもクリエイティブな組み合わせがあったりしますが、どんな風にメニューは考えられるのですか?

僕は言われた通りにできないので、自分で考えてしまえば、自分が正解になる。クリエイティブというか、ちょっと崩した料理、自分なりの自分にしかできない料理をやっています。逆に、それしか方法がなかった。でも、自分で考えるだけでなく、色々な人からアドバイスをもらったり、料理と関係ないものを見たり聞いたりしても、料理にどう使えるかという発想が浮かぶこともある。そこから組み立てて、今のスタイルになりました。

――平シェフがずっとこだわっている「おいしさ」とは、どんなものでしょうか?

自分としては本能的なおいしさをとても大事にしていて。自分の7歳の娘と70歳の父親が食べてもおいしいって思える味がスタートなんです。そこに、イタリアンに詳しい人が食べたら、「こういうイタリアの郷土料理とこれを掛け合わせているんだ、面白いね」とか、食べた人の個人的な思いが重なっていくのが理想だなって思っています。ただ、外側からの情報で「これはおいしい」って頭で考えるのは、ちょっとダサいと思っているんです。

――おいしさというのはとても個人的なものだ、ということですよね。夜はコース一本でやっていらっしゃいますが、その構成はどんな風にされているのですか?

アラカルトは、どれを選んでいただいてもいいように、五味のバランスをとってつくっています。一方、コースはこっちが最初から最後まで食べてもらうもの、量、カトラリー、お皿の形も全部決められるので、軟らかいものの後に硬いものだったり、熱いものの後に冷たいものだったり、いろんな緩急をつけています。トータルで、食べ終わった時に「なるほどな」と思ってもらえるようなアプローチをしています。

斬新な料理の後、見た目も味もホッとするトスカーナの郷土料理「リボリータ」で落差を楽しむ。丁寧に仕込んだトリッパ入り

――自分のスタイルを築くために、貪欲に料理の情報を求めているわけですね。今日も朝まで勉強会だったとか。ランチ、ディナーと営業した後に勉強会、というのは体力的にきつくないですか?

コロナ禍で減ってはいるんですけど、仲間のシェフとやっている都心での勉強会は単純にお金を払ってでも行きたい、癒しのような存在で、むしろそこに行けないことが苦痛になってしまうので、体力的に厳しい、とは考えないです。今43歳なんですけれど、逆に体力が無限に増えていくような感じです。

――勉強会は癒しでもある。ある意味シェフというのは孤独な仕事でもある、ということでしょうか?

そうですね。シェフになると最後は自分で決めなければいけないですし、年齢を重ね、上の立場であるからこそ、スタッフやお客さん、業者さんにも気を遣いますし、いろんな我慢もする。でも、同じような境遇でやっている人たちが集まると、そこから解き放たれて、本当にただの料理好きが集まるような感じになるので、すごく癒されます。料理はリラックスツールでもあるし、ストレスの源でもある。本当の楽しさは、苦しさがないと存在しない。それと同じように、ストレスになるからこそ、リラックスもできると思っています

現在43歳、「強いチーム」がおいしいものをつくり続ける未来への鍵

薪の香ばしさと、ひき方にもこだわった全粒粉の香り。塩を控えた生地は、全部食べても喉が乾かない。スタイルがはっきりと伝わる『マルゲリータ』

――【ドンブラボー】は2012年にオープンされて、もうすぐ10周年を迎えます。節目の年、これからにむけて考えていることはなんでしょうか?

5年後でも10年後でも、今よりもちょっとでもおいしいものがつくれるようになっていたいです。歳を取れば取るほど、クリエイティブな料理って時代から遅れていくのは間違いないですし、その時に、どういう料理にシフトチェンジしていくべきかを考えています。今よりもおいしいものを10年後につくるために一番大切なことは、優秀なスタッフに長くいてもらえるような環境をつくることだと思っています。

――平シェフの料理は、チームでつくるおいしいもの、ということですね。

はい。30歳を過ぎたら独立するのが、料理人の一つの成功パターンのように言われていますが、独立してもうまくいくシェフクラスの人たちが、「独立せずにお店に残った方が、ちゃんと給料がもらえるし、休みも取れるし、自分がやりたいこともできる」っていう環境をつくりたいんです。そういう人たちが同じグループにいて力を合わせた方が、よりおいしいものがつくれる確率も上がり、よりお金もちゃんと得られ、多くの休みが取れて、インプットする時間も増えると思います。

――それが、10年後にありたい、平シェフの形。

そうですね。イタリア料理の方って、ある程度の年齢になると、夫婦だけでこぢんまりとしたお店をやられる方も多くて。そういう方にも憧れるのですが、自分は歳を取るごとに大きくなる可能性に賭けたい。そのために、お金はすごく大切なことです。スタッフにとって、レストランはやりがいだけではなく、普通の仕事と同じようにしっかりとお金も稼げる職業にしなきゃいけないなと思っています。

もちろん料理人には、お金以外に目の前で自分がつくったものを食べてもらい、喜んでもらうというやりがいはあるんですけど、それを続けるためには、ちゃんとお金も休みもあげなきゃいけないと思うんです。働いている人たちが健全で幸せじゃないと、お客さんを幸せにすることはできないですから。そのために、ちゃんとお金を稼げるお店にしていかなきゃいけない、というのが僕の課題です。

父譲りのエンターテイナー、インタビュー中も「平ファン」でもあるスタッフたちが笑顔で取材陣を取り巻き、耳を傾けていた

――そのためのプロジェクトもスタートしているそうですね。

はい。2020年に【ドンブラボー】のピザの部分を切り取った【クレイジーピザ】という姉妹店を始めて、2022年2月に神楽坂で【クレイジーピザ】2号店を出しました。

――なぜ、ピザにフォーカスした店にしたのでしょうか?

【ドンブラボー】は僕が料理をつくる店なので、それをいくつも展開するのは違うな、と。レストランって、同じものを再現するのが難しいと思うんです。でも、コースのシメで出てくるピザだけを切り取って、その専門店という形で店舗展開して、そっちでちゃんとお金が回るようなシステムをつくればそれが可能になります。

――量産するためには、おいしさと効率性を両立させる必要があるわけですよね。

はい、そのために神楽坂のお店では工場生産を試みています。生地を練って、丸めたものを冷凍して、それを商品として自分たちの店舗に卸す。それを現地で解凍して、発酵させてのばす。そうすることによって味のブレも防げるし、単純に人件費も削減できる。窯も国領は薪窯でやっているんですけど、神楽坂では電気窯を使うことにしました。薪よりも温度管理がしやすいのと、電気窯の方が粉のおいしさが引き立つことに気付いて、粗めにひいた全粒粉を入れた生地を開発し、新しいおいしさのアプローチをしています。

――ご自身がその部分で苦労したからこそ、スタッフそれぞれに、ちゃんと自己表現できる場を用意してあげたいという思いが、その裏にあるわけですね。

そうですね、【クレイジーピザ】でちゃんとお金が回るようなシステムをつくって、長年働いてくれているスタッフに、独立するよりもよい環境で、自分の表現をさせてあげたい。そのためには、ピザの方でしっかり、会社として体力をつけるような仕組みができたらいいなと思って、展開をちょっとずつ始めています。

未来のために、料理人だからこそできること

日替わりキッズピザ。「苦手な食材がのっていても『ちょっと食べてみようかな』と思わせる魅力がピザにはある」

――喜ぶ人が広がるという意味では、ピザだからこそ地域のためにできることがいろいろあって、そういうプロジェクトも進行しているそうですよね。

はい、そうですね。いろんなお店でお客さんを喜ばせる以外に、料理人としてできることがあればやりたいなっていう気持ちはあります。ピザって規格外で廃棄されてしまう野菜などを、形を気にせずに料理にしやすい。その上で、おいしくできるし、キャッチーで嫌いな人はあんまりいない。それを媒体に、今後いろいろできたらいいなと考えています。

――その一つが、キッズピザですよね。

はい。【クレイジーピザ】では、15歳未満の子どもに1日1回、100円でカットピザを「キッズピザ」として提供しています。子どもたちがちょっとお腹が空いた時に、コンビニでお菓子やファストフードを買うのでもいいんですけど、粉や食材にこだわって、愛情と責任を持ってつくったピザも一つの選択肢として入れてほしい。そうすることで、彼らの食に対する物差しができたり、視野が広がる可能性があるなと。ファストフードの方がおいしければそれでもいいけれど、そういうお店が家の近くにあったらちょっといいかな、っていうぐらいの感じでやっています。

――食育としての意味もある。

そうですね。農家さんが規格外やつくり過ぎた野菜をキッズピザ用に送ってくれるのですが、それを使ったピザを出す時に、子どもたちにちょっとだけそういう話をしたりするんです。あと、子どもが嫌いなピーマンなどの食材も、切り方次第でおいしくなる。だから、切れる包丁で、嫌な香りが出ないようにピーマンをカットしたり、はちみつをかけたりすることで、「ピーマンっておいしい」って変わってくれる子もいます。

――結局は、どう食べるか、なんですね。キッズピザに賛同してサポートしてくれるシェフもいるとか。

はい、先輩の【タクボ】の田窪大祐シェフが、「キッズピザ用に使っていいよ」と、グルメな人たちが買いたくても買えないような肉の端材を使ってつくる最高級のボロネーゼを送ってくださいます。大人が食べたくても子どもしか食べられないっていう(笑)。何かを食べる上で、選択肢としてこういうのもあるんだって知ってもらえる場所が、自分の街にあったらいいな、って思いますね。

見えてきた「これから向かうべき方向性」

家族の歴史が詰まった場所にオープンした「自分らしい」店。料理が引き立つように、外装も内装もあくまでもシンプルに

――自分のお店を開店して10年目を迎えて、料理の方向性も変わってこられたとか。

クリエイティブな料理をやっているお店って、一瞬流行っても、流行り物は確実に廃れるので、“流行らない”のがポイントだなと思っていて。お客さんからずっと愛されるお店ってすごく格好いいなと思っていた時に、自分自身がそういう料理をやるべきなのかな、って考え始めたんです。

そんな時に、先日移転した静岡の【成生】さんを訪れたんです。移転して初めて行かせていただいたのですが、窓の右奥から白い煙がフワッと出ているので、聞いてみたら「シメのご飯を薪で炊きたくて、移転した際にそのための場所を離れにつくりました」と。品種もあるかもしれないんですけど、めちゃめちゃおいしかったんです。天ぷらの構成は変わらないけれど、明らかに“いろんなクリエイティブ”が重なっているのが見えて、「この人の、5年後、10年後の料理が食べたい」と思ったんです。

――それを【ドンブラボー】でやるとすると、どんなイメージなのでしょうか?

例えば、トマトソースをつくるにしても、変わった食材を合わせるのではなく、薪台の上でトマト、バジリコ、オイルにチーズと、シンプルな食材をお客さんの目の前で仕込むんです。「コースのシメに出すトマトソースを今から仕込みますね」って、トマトソースに適した材質の鍋で、コトコト弱火の薪の輻射熱で火入れする。薪の上でパスタをあおって、目の前で盛ったら、使っている材料はみんな知っている食材なのに、ちょっと食べたくなるじゃないですか。そっちの方が時間をかけて料理人としてやっていきたいな、と最近思うようになりました。

――調味という味の組み合わせよりも、調理で違いを出していくのが、これからやっていきたいこと、ということですね。そんな平シェフが考える理想のレストランは?

自分たちが本当に心からおいしいと思えるものを、その日のサービスの直前まで試作して、一番ベストなものを提供すること。それを、自分たちで思いつく限りのセッティングを考えて提供する。最近、情報量を減らすためにインテリアの色をシンプルにして、ライトもテーブルの1点だけに当たるようにしたんです。お客さんは座っているときは不自由ないんですけれど、立つと意外と周りの風景が見えないぐらいの暗さにして、なるべく料理に集中してもらえるように工夫しています。

その後はすごくカジュアルに、正直ポケットに手を突っ込みながら接客するぐらいのノリでやるのが、理想のレストラン。「最高級をカジュアルに」、そういうのを一応目指しています。

撮影/三橋 優美子  取材・文/仲山 今日子 2022.1.19 取材

味わいたい至極の逸品

『ピッツア・マルゲリータ』

店に入った瞬間から漂う、香ばしさ。大切にするのは、粉の味とスモーキーな薪焼きの香りの融合だ。オリジナルの工夫を重ねた生地は、ひきたての全粒粉にホエイ、自家製のたまねぎ水を使って旨みを加え、風味豊かに練り上げた。トッピングは自家製トマトソースとバジル、モッツァレラチーズでシンプルに。大切にするのは「自分がおいしいと思うかどうか」。モッツァレラはあえて「日本人の味覚にしっくりくる」乳牛のものを使う。

平 雅一

1979年、東京生まれ。広尾【アッカ】に勤務後、渡伊しフィレンツェ【ラ・テンダ・ロッサ】、ミラノ【サドレル】、ラグーサ【ドゥオーモ】(いずれもミシュラン二ツ星) 等で3年間修業。帰国後、現在の【タクボ】に勤務、三宿【ボッコンディビーノ】でシェフを務める。生まれ育った東京都調布市国領に2012年【ドンブラボー】を、2020年にはピザ専門店【クレイジーピザ】を開店。
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