東京・赤坂の駅から長い坂道を上る途中の左側に、モダンスタイルの中国料理店【Maison de
YULONG】がある。総料理長を務めるのは日本におけるヌーベルシノワの先駆けであり、また火を自在に使いこなす「炒」の天才料理人のひとりとしても知られる、阿部淳一シェフ。若くして頭角を現し、独創的かつ可憐な中国料理で訪れる人を魅了してやまない、クールななかにも情熱をうかがわせる炎の料理人のヨコガオに迫った。
Interview
炎の料理に魅せられて選んだ中国料理人への道
1980年代に香港で始まった「ヌーベルシノワ」。西洋の食材を使用したり、フレンチや日本料理といった、中華以外の料理技法を取り入れて、洋風に盛り付けるといった「新しい中国料理」だ。今でこそベーシックな中国料理のひとつとして存在しているが、【Maison
de
YULONG】が開店した1995年頃の日本ではヌーベルシノワを取り入れた中国料理店は少なく、ゆえに斬新な発想の料理を出す店として話題となった。その総料理長を務めていたのが、「炒」の天才料理人としてその名を馳せた、阿部淳一シェフだ。
その後1995年に鈴木氏が独立して開店した、【Maison de
YULONG】の総料理長として就任する。フレンチのように少量多種の料理を華やかに盛り付けた繊細な中国料理に、紹興酒や老酒ではなくワインを合わせる新しい中国料理の楽しみ方を提案することで、一斉を風靡するまでになる。7年という歳月を【Maison
de YULONG】で過ごしたのち独立したが、オーナーが変わった2008年に再びその腕を求められて赤坂に戻り、現在はさらに進化した独創的な料理の世界を展開している。
一度は離れながらも、再び【Maison de
YULONG】で鍋を振り始めて6年目。「今後は健康を考えた料理をつくっていきたい」と語る姿には、食材を知り尽くし、火と油を自在に操る阿部シェフの独創的な姿勢と自信が感じられた。
シェフの記憶に残るシェフ
~日本におけるヌーベルシノワの先駆者~
ヌーベルシノワの先駆けとして、時代の先端を走り続けてきた阿部シェフの料理人生に、最も強い影響を与えた人物。それは【Maison de YULONG】の初代支配人を務めた鈴木 訓氏だ。
鈴木氏と出会ったのは、東京・六本木の【東京錦江飯店】で働いていた頃。その後、阿部シェフは鈴木氏とタッグを組み、青山【オーセ・ボヌール】、【Maison de
YULONG】と「ヌーベルシノワの先駆け」として、ともにその名を馳せるまでになる。
鈴木氏のすごいところは、その人脈の広さ。阿部シェフは彼を通じてイタリアンの片岡護シェフや、フレンチの大渕康文シェフほか、和洋折衷の様々なジャンルの料理人と出会った。彼らと交流しながら料理に対する姿勢やスタイル、考え方などについて影響を受け、本を見たりして研鑽を重ね、独自のスタイルを築き上げた。