「パスタ界のワールドカップ」と呼ばれる 大会で優勝
大会のファイナルステージで弓削シェフがつくった『ペンネ アル ゴルゴンゾーラ・プロフーモ ディ ジャポネーゼ』
──2019年10月にパリで開催された「パスタ・ワールド・チャンピオンシップ2019」で優勝されました。おめでとうございます。まずはこの大会の概要を教えていただけないでしょうか?
イタリアのパスタメーカー・Barillaが共催する世界大会で、2012年から開催されています。世界12カ国以上から厳選された34歳以下のイタリア料理のシェフが技、味、プレゼンテーションの腕を競い合うことから、「パスタ界のワールドカップ」ともいわれています。
──弓削シェフが同大会に初出場したのは2017年で、そのときは準優勝でした。
まだ【Ristorante
QUINTOCANTO(リストランテ・クイントカント)】のシェフをしていた時で、うちの総料理長、樋口に「こんな大会があるんだけど、興味ある?」と言われたのがきっかけで、出場しました。当時はまだあまり認知されておらず、国内予選に出場するシェフも少人数でしたが、日本代表としてイタリアへ飛び、20カ国の代表選手と競い合いました。日本人なりのきっちりとした調理と洗練された料理で勝負したところ、手ごたえを感じ、幸いファイナリストの3人に残りました。しかし、結果は3位。嬉しい気持ちとともに後悔も持ち帰りました。翌年は出場しなかったのですが、「日本人が世界一をとらないと……」と再挑戦を決意しました。
──2019年の同大会は会場がイタリアからパリに移ったんですよね。2度目の挑戦はいかがでしたか?
会場こそ変わりましたが、大会運営スタッフが初出場のときと同じで、私のことを覚えていてくれたんですよ。「ケイタ、おかえり!」みたいな雰囲気で、アウェイなのに、ホームじゃないかというぐらい歓迎された(笑)。初出場のときの料理が好印象を残せたのではないかと思っていましたが、実際、2回目は大会関係者が初戦から応援してくれました。
2度目の挑戦で勝ち取った栄冠。和の食材を巧みに使い、日本らしさをパスタの中に表現しきった
──ファイナルステージでつくった『ペンネ アル ゴルゴンゾーラ・プロフーモ ディ ジャポネーゼ』(以下、ペンネ アル
ゴルゴンゾーラ)は、どんな考えでつくったパスタだったのでしょうか?
まず、日本人になじみがあり、かつイタリア人にとって「パスタの定番とはなにか」を考えました。そして、大会の調理時間は1時間。短い時間の中でパンチと、旨みがあるものをどうつくるか。それらを総合的に考えて、思い付いた食材が「チーズ」でした。だれもが好きなチーズを使った『ペンネ
アル
ゴルゴンゾーラ』ならどうだろう、と。あとは、ここにどうやって、より日本らしさをアピールしていくかを考えていきました。たとえば、この料理は最後の仕上げに黒胡椒をかけてキレを出します。この黒胡椒の代わりに、和の香りを代表する山椒を使ったらどうだろう、と思い、試作してみたら、とんでもなくおいしかった(笑)。【GEM
by moto】の店主・千葉麻理恵さんを中心に集まる、マリエ会という飲食業界で働く人が集まる会があるんですが、その会でこの山椒の「ペンネ アル
ゴルゴンゾーラ」を食べていただいたら、みんなとても喜んでいて……。本番では、この会で【すし㐂邑】の木村康司さんに紹介していただいた【やまつ辻田】の山椒を使ったおかげで優勝できたと思っています。
明治35年の創業以来、大阪府堺市で和風香辛料を製造する【やまつ辻田】の石臼挽き粉山椒。爽やかな香りと、清々しい和緑色が特徴
──ソースには日本酒も使われているんですよね?
そうです。濃縮した日本酒を合わせたいと考えていたのですが、どこの日本酒にするべきかは悩みました。最終的には思い入れのある故郷・佐賀の酒蔵【基峰鶴】の「Velvet純米吟醸」を煮詰めて、ソースをつくっています。
──脇に、盃に入ったみりんが添えらえているのもおもしろいですよね。
『ペンネ アル
ゴルゴンゾーラ』を食べて、蜂蜜の香りがするこのみりんを飲むと味ががらりと変わるんです。実際、大会のファイルステージで、口内調味をしてもらうプレゼンをしたところ、会場が湧きましたよ(笑)。この本みりんをつくっている【鈴木酒造店】さんは、東日本大震災で福島県浪江町から山形県長井市に移転し、日本酒造りを続けていらっしゃいます。ほかにも、和を表現するために有田焼の窯元【李荘窯】さんの器を使ったり、いろいろな方のサポートのおかげで優勝させていただくことができたと思っています。
弓削シェフの『ペンネ アル ゴルゴンゾーラ』に欠かせない食材。左が【鈴木酒造店】の「本みりん 黄金蜜酒磐城壽」。【基峰鶴】の「Velvet純米吟醸」
──若い世代のシェフたちに「パスタ・ワールド・チャンピオンシップ」への挑戦を勧めたいですか?
僕はこれまで「RED
U-35」にも出場しています。「パスタ・ワールド・チャンピオンシップ」に初出場した2017年は両方の大会に出ました。でも、2019年は「パスタ・ワールド・チャンピオンシップ」だけに専念することにしたんです。なぜならこの大会に魅力を感じていたし、この大会だけに集中したら“もしかしたら”という期待もありました。うちの店は料理を月替りで提供しています。定番もありますが、毎月月替りの料理を試作しつつ、大会向けの料理も考えなければなりませんでした。店がひとつのチームとしてまとまっていないと挑戦したくてもできません。僕がひとりで優勝できたのはなく、【SALONE
2007】というチームが優勝できたのだと感謝しています。「パスタ・ワールド・チャンピオンシップ」は35歳未満のイタリア料理人に出場権があります。逆にいえば、店をワンチームにまとめるためにも、挑戦する価値があると思います。
「超名店」に「パリの3ツ星」…… 当初の夢は、じつはフランス料理人
オリジナルレシピのサルサ・ポモドーロを和えた『スパゲティ ポモドーロ』。深いコクのあるこの料理は、一度食べるとやみつきに。
──元々野球少年だったそうですね。甲子園も経験されたんだとか
佐賀県立鳥栖高校2年のとき、夏の甲子園に出場しました。高校で初めて出た公式戦が甲子園なんですよ。しかも、延長戦でピンチランナーとしての出場だったので守ったことがないファーストにつき、頭は真っ白(笑)。そんな状況を経験していたので、パスタの世界大会でもそれほど緊張しなかったのかもしれません。大学でも野球を続けようと思い、特別推薦を受けていましたが、これは不合格でした。
──そんな高校球児が、なぜ料理の道に進むことになったのでしょうか?
ワーキングホリデーを利用してカナダのレストランで皿洗いのアルバイトを始めました。その後カナダの料理学校に1年、ホテルの厨房に1年、そのころから“料理って面白いなあ”って思うようになりましたね。21歳で帰国。とにかく有名なレストランで働きたくて、【Chez
Inno(シェ・イノ)】に入店しました。
──よく【Chez Inno】に入れましたね。ラッキーボーイかもしれませんね。
井上旭シェフが野球好き、古賀純二シェフも佐賀出身で野球好きだったから、おもしろい奴だと思われたのかもしれません。本当は、人は足りていたいみたいですし(笑)。
──甲子園の経験が幸いしたのかもしれませんね(笑)。【Chez Inno】に入店してから、人生が好転していきます。
料理人志望でしたが、最初はホール担当でした。ところが、2カ月後、フランス人のシェフ・パティシエのアシスタントをしていた方が退職。英語ができたことから、シェフ・パティシエのアシスタントとして3年間パティシエの勉強をしました。その後、フランス人のシェフ・パティシエが退職。自分がパティシエになりました。さきほどの『ペンネ
アル ゴルゴンゾーラ』に煮詰めた日本酒でつくったソースを使うテクニックは、【Chez Inno】時代に覚えたものです。
──【Chez Inno】で4年修業後は、パリへ渡ります。
“フランスで勉強したい”って思ってて、それも“どうせなら3つ星で修業したい”と考えていたので、3つ星12軒に手紙を書いたら2軒返事が来ました。そのうちの1軒がパリの【Restaurant
GUY SAVOY(ギィ・サヴォワ)】でした。半年間はパティシエとして、半年間は温前菜を担当させていただきました。
サルサ・ポモドーロを仕込み中の弓削シェフ。サローネグループの歴代シェフが継承してきたレシピをさらにブラッシュアップ中
──日本の有名店に、パリの3つ星……。どちらもフランス料理でしたが、その後はなぜイタリア料理に転向されたのですか?
パリの修業時代、食事に行くとかわいらしいラビオリがメインに添えられていることが多く、それを見てイタリア料理にも興味が湧いていました。帰国してから、本当は【L'OSIER(ロオジェ)】に入りたかったのですが、たまたま改装で休業中。待つ間にイタリア料理を勉強しようと思ったんです。でも、イタリアレストランをほとんど知らなったので、雑誌を見て選んだイタリアレストランの面接を受けたりしていたんですが、どこも不採用。26歳で3か月間無職(苦笑)。「どうしようかなあ”」と悩んでいました。
──そのときに、サローネグループを経営する「ジュン・アンド・タン」の総料理長、樋口敬洋さんの面接を受けるんですね。
「ジュン・アンド・タン」と【Chez Inno】が、東北復興支援で関係があったことから、拾っていただきました(笑)。考えるとご縁のあるところばかりに行っています。
──でも、その縁を引いてくるのも実力のひとつではないでしょうか。入社2年目の2013年、27歳にして、サローネグループが初めて大阪に出店した【QUINTOCANTO(クイントカント)】の初代シェフに抜擢されました。
代表の平に「シェフになりたいか」と訊かれました。あのときみんなが同じことを訊かれていたので、「自分にもシェフになるチャンスがあるのか」と思い、嬉しかったです。
「自分のこどもに『パスタをつくろうか?』って訊くといつも喜んでくれます。パスタが嫌いな人はまずいません」
──イタリア料理に専念してからまだ2年経っていませんでしたね。シェフに任命されてどう思われましたか?
楽しみな気持ちと、不安がありましたが、興味があると答えた以上やってやろうって誓いました。
どちらも経験したからこそ感じる イタリア料理とフランス料理の境
毎朝入荷する鮮魚を使った、定番の「鮮魚のヴァポーレ」。この日は鯛とタコと蛤とポワロネギを調理した一品が登場
──2018年に現在の【SALONE 2007】のシェフに就任されました。このお店の料理のコンセプトは?
うちにはピエモンテ州で修業した青木一誠シェフと僕の、2人のシェフがいます。ダブルシェフの個性を表現するのが、【SALONE
2007】の特徴です。青木シェフのザ・イタリアンな料理と、フランス料理の技法を取り入れた僕のイタリア料理の両方を楽しんでいただければと思っています。僕個人でいえば、料理をつくる際には、自分なりにイタリア料理とフランス料理の線引を考えるように心がけてきました。
ブルーを基調にした荘厳でシックな雰囲気のメインダイニング。プライベートで利用できる個室もある。別途10,000円(税・サ別)。
──イタリア料理とフランス料理の線引について、もう少し詳しくお聞きできますか。
パリでフランス人と働いていたとき、クラシックな料理になぜワサビや醤油を使うのかという話を彼らとしたことがあります。彼らは、「日本人にとっての家電製品と同じだ。新しい料理を考えるのがフランス料理だ」と説明してくれました。「世界の最先端だというプライドがある。だからつねに新しいものを取りれていかなければならない」とも。なるほど、と感心させられました。一方で、地方料理の集合体であるイタリア料理には、それぞれにルールがあります。
──どんなルールがあるのですか。
組み合わせのルールです。たとえば、日本でも、味噌汁にピーマンを入れませんよね。イタリア料理にも同じようなルールがあります。これを守りながら、料理を再構築するのが当店のコンセプトの一つでもあります。たとえば、定番として出している『鮮魚のヴァポーレ』という料理は、シチリア料理をアレンジしたものです。本来は輪切りにしたオレンジを魚の腹に入れて蒸し焼きにするところを、オレンジの香りがするオリーブオイルを使ってアレンジしています。ドルチェでも、【SALONE
2007】ならではの技でアレンジを加えています。『ラビオリ オレンジとサフラン』というドルチェがそのひとつです。
──このラビオリの料理は、ドルチェだったんですね…!
一見ラビオリですが、一口食べるとドルチェだとわかりますよ(笑)。南イタリアでは、オレンジとウイキョウを使ったサラダが定番で、このドルチェにはその組み合わせにのっとってつくったシャーベットを添えてあります。料理の最後に出すサプライズとして、メニューにはあえて「ラビオリ」と記載しているんです。予想を裏切るドルチェで、料理を締めくくっていただきたくて。
「ラビオリ オレンジとサフラン」。サフランとオレンジの香り付けをした求肥を薄く伸ばした皮に、オレンジタルトを詰めたドルチェ。
撮影/濱口 太 取材・文/中島 茂信 2020.3.25取材