料理人としての原点
――シェフロピアさんのYouTubeを見ている人はご存じかと思うのですが、もともと長野でイタリアンのお店をされていたのですね。どんなきっかけでイタリア料理の世界に入られたのですか?
YouTubeの視聴者さんやお客様からも、素晴らしい志があって料理業界に入ってきたんだろうと思われているみたいなのですが、本当にたまたまなんですよ。祖父が警察官だったので、若い頃はそれを目指したのですが、どうしてもギリギリで合格できなかった。それを諦めてどうしようかなと思った時に、たまたま紹介されたのがイタリア料理のお店だったのです。どの道を選ぶにしても、選んだものを極めていこうと、その腹だけ決めていたって感じですね。
――お料理自体はその前からされていたのですか?
もともと学生時代から料理をするのが好きだったので、そこの原動力というか、もともと好きだったっていうことに結構助けられたのかな?と思います。
イタリア料理はパスタ場から入ったんです。パスタは基本さえ押さえてしまえば応用が利きやすくて、本当に無限の組み合わせが生まれるところがすごく面白くて。どんどん引き込まれていきました。
――ご自身のキャリアにおけるメンターのような存在はどなたになりますか?
最初に働かせていただいたお店で、長野市にある【珈琲哲學
吉田店】の竹下オーナーです。いまでもことあるごとに気にかけてくださって、料理人として生きていくにはどうあるべきか、ということも教えていただいています。
独立は、料理人になって真っ先に決めたわけではなく、僕の叔父が、「レストランを開きたい。その後は僕(小林シェフ)に任せたい」とのことだったので、一緒にお店を立ち上げて、そのまま経営譲渡という形で自分の経営になったという流れです。
人気YouTuberになるまでの道のり
――そもそも、YouTubeを始められたのはどういったきっかけだったのですか?
もともとお店で料理教室を開いたりしていたのですが、自分のキャパシティだと10人くらいにしか届けられない。その点、動画は一本出せば多くの方に見ていただける。その方が料理の楽しさを広めていくにはいいなと思って始めました。
――当初はまだそんなに料理人の方でYouTubeをするという方は、多くなかったと思うんですけれども。
自分が始めた2014年頃はほぼいなくて。YouTubeとかネットの世界では、料理人が来た!って結構受け入れていただいたんですけれど、2015年~2016年くらいまで、現実世界では逆風がすごかったです。「お前さぁ、料理人でしかもお店までやってんのに……」という空気でした。
――機材も本格的に揃えて撮っていらっしゃると思うんですけれども、最初のうちからですか?
いえいえ、最初はiPhone5かな? スマホで撮っていて、そのうちホームビデオで撮り始めて。「後ろをボケさせて人物だけをはっきり映すためには、このビデオカメラだと駄目だな」と分かって機材を変えたり、一つ一つ揃えていったりした感じですね。
視聴者も最初は全然多くなかった。いまでも強烈に覚えているのは、3時間生放送をやり続けたのに、コメントが一つも来なかったことですね。この“お金にならなかったこと”が逆にモチベーションになったと思います。「稼ぎたい」とか、「時給に換算したら大変だ」とか、そういうふうに考えずに、自分が楽しいと思う料理が誰かに届いたらいいな、というつもりでやっていたので。
次第に、一つ二つとコメントが来始めて、あとはコメントに答える形で、視聴者さんとキャッチボールしながら続けてきたような状態でした。だから続けてこれたのかなと思います。
――続けていかれる中で、いろいろな有名シェフとの出会いなど、とても大きな転機もありましたね。
動画を始めてからも続けていた料理教室を通して知り合った方が、【リストランテ
アクアパッツァ】の日髙シェフと昔からお付き合いがあるという話を聞いて、2020年にご紹介していただきました。その時に、すごく言いづらかったのですが、「動画に出てもらえませんか?」と勇気を振り絞って言ってみたら、日髙シェフがオッケーしてくださったのです。これはもう、日髙さんの気が変わらないうちにすぐ撮りに行こうと思って、1ヶ月もしないうちにアポイントメントを取って、日髙シェフのお店にカメラを持っていって、そこで撮らせていただきました。
ちょうどコロナ禍で、当時、日髙シェフほどの方がYouTubeに出るということはなかったので、動画の視聴回数がすごく伸びました。そこから日髙シェフが本当によくしてくださって、いろんな方を繋げてくださったり、人の輪をつくってくださいました。このお店をつくることができたのも、そうやってつくっていただいた人の輪があってこそだと思います。
――動画の編集もご自身でやってらっしゃるとのこと。大変ではありませんか?
編集そのものより、実は字幕を入れたりする部分に時間がかかるんです。20分~25分くらいの動画になってくると、長いもので10時間とか11時間かかってしまう場合も。お店をやりつつ、朝のちょっとした時間、ランチが終わった休憩時間、家に帰ってから、休みの日などの隙間隙間にやっています。
新しくオープンした【ポンテ カルボ】について
――そして、YouTubeのご縁もあって、この度新しくオープンされたのが【ポンテ カルボ】。オープンしようと決心された理由とタイミングも教えてください。
本当は新卒を受け入れて、長野の【リストランテ
フローリア】を続けようと思っていたのですが、長年料理長をやってくれていたスタッフから、「(もともとやっていた)パティシエの世界に戻りたい」という相談を受けたんです。やりたいなら頑張って、と後押しして。
僕自身、前々から東京に行きたい気持ちが何となく心の中にはあったので、じゃあスタッフも入れ替わりのタイミングだし、【リストランテ
フローリア】も開店からちょうど10年経つし、お店を閉めて東京に行っちゃおう、っていう、ある意味ノリも勢いもありました。タイミングとしては、自分自身の気が変わらないうちに決めちゃおうと思って、
2022年12月くらいに東京に行こうと決めました。
――東京・青山という場所に決められた理由は何ですか?
もともと炭や焚火が好きで。長野にいた頃は休みの度に山に行って炭で料理をしていたので、そのおいしさはよく知っていました。この新しいお店の場所は、もともと焼鳥ベースの創作料理店だったんです。ただ、普通のレストランのような料理をつくるには、電力もガスもギリギリの火力で、炭火の力を借りてやっとできるお店。それで迷っていたら、「料理王国」の野々山編集長に「何でもできる、何でも揃っている厨房からは何も生まれないよ」と。「ちょっと不便だなとか、これどうしなきゃいけないんだろう、っていうところから、初めてアイデアや新しいものが生まれる」というアドバイスをいただき、それにすごく感動して、すぐ不動産店に電話して、その日のうちに決めました。
――【ポンテ カルボ】では、どんな料理を提供されるのでしょうか。
長野のお店の時には、伝統的な現地のレシピはあまりいじらないスタンスでした。でも、東京は大きくて、いろんな方がいらっしゃる。
だから、僕が思う伝統料理の枠を外したところで、つくりたい料理をつくっていこうと考えたのがきっかけなんですね。イタリア料理をベースに炭火や発酵、だしなど、日本の食文化を取り入れた料理をつくっていこうと思っています。
特に、イタリア料理は素材のよさを引き出すのが魅力的。長野で農家に嫁いだ妹から届く野菜など、長野の野菜のおいしさを東京の方にも楽しんでいただければと思っています。
――ここから自分にしか発信できないもの、スタイル、こういうふうに楽しんでほしいなど、どんなふうにイメージされていますか。
食事の時間っていろんな楽しみ方があって。僕の場合はYouTubeなど発信活動をしているので、僕が料理をしている姿を見て楽しんでいただくのもよいかな、と思い、オープンキッチンのカウンタースタイルにしました。
――料理の道に入って独立、東京に進出されて、とても順風満帆なように感じるのですけれども、一番悩んだ時期や苦労したことはどんなことでしょうか?
飲食店経営も理想だけじゃできないので、いろいろありました。お金の面でも、一番大ピンチという時は、手持ちのお金がもう3万円を切っていて、お肉をちょっとでも余分に注文していたらもう払えない、という状態になったことも。
あと、人を育てる難しさっていうのはいまでも感じています。卒業したスタッフとはみんな連絡は取れますが、料理業界をやめた方が二人くらいいて。彼らとは良好な関係を続けられていると、僕は思っていますけれども、料理業界の楽しさや生き方を、力不足で教えられなかったんじゃないかなと、いまでも思い返します。彼らにとって本当にいい時間を提供できていたのかなとか……。永遠の課題かもしれません。
――そんなふうに自分が悩みを抱いたときに、どのように立ち向かっていらっしゃいますか。
解決策は、お金の面だったら答えが割と見出せる。何がいけなかったのかを分析すれば答えが出るので。ただ、人の育て方は答えがでない。それでも考え続けるしかないと思っています。
だから、このお店は僕と奥さんと二人だけで始めることにしたんです。一旦、自分たちだけでお店をやってみて、人を育てることの意味だったりをもう一度考えたい。自分だけでお店をやることで、何か成長できるかもしれないとは思っているので、立ち向かっている最中ですね。
――すべての活動を通して、料理の楽しさ・自由さを広げていきたいと思われていらっしゃるように感じたのですが、料理人として料理を出す自分と、YouTuberとして多くの人に情報発信する自分。どちらの自分にも共通するものは何でしょうか?
自分は「楽しさを届ける人」だと思っています。実は、マジックショーを開いたり、街中で大道芸的なものをやったりしていた時期もあるんです。楽しんでもらうというのが根底にあって、その手段の一つとして料理や動画があると思っています。
――YouTubeは、これからもまだ続けられるのですか?
そうですね、頑張って続けたいですね。
――YouTubeがあって、リアルのお店があって、オンラインのサロンもやってらっしゃるそうですね。その3つのコミュニティの中で、いろんな形で小林シェフをはじめ、料理を愛する人たち同士のコミュニケーションを楽しめるということですね。
いろんなコミュニティがありますけれども、特にネットの強みはどこにいても一瞬で繋がることができること。料理好きな人たちが日本全国に友達ができたら楽しいでしょ、と思ってつくったんです。逆にお店や対面だと、より強いコミュニティが生まれていくと思います。僕が中心に、ということではなくて、“言い出しっぺ”という形で活動していけたらいいかなと思っています。
――これからの夢をどのように描いていらっしゃいますか?
このお店も、日本の食文化を取り入れた料理なので、海外の方にも日本の食文化やよさを広げていきたいですね。いま、オンラインサロンに海外メンバーが何人かいて、ドイツにいるメンバーは料理人なので、ゆくゆくはドイツでお店をやりたいというのもあります。コミュニティを通じて海外にお店ができて、日本にいるコミュニティのメンバーが現地に食べに行って……という話になったら、本当にすごいと思うんです。不可能なことはないと思っているので、頭の中でしっかり組み立てながら、実現できるように頑張りたいなと思います。
撮影 / 三橋 優美子 取材・文 / 仲山 今日子 2023.7.28