1. ヒトサラ
  2. シェフのヨコガオ
  3. レストランの枠を越えて活躍の場を広げ続けるシェフが、周りから“頼られる”理由
米澤 文雄 氏米澤 文雄 氏米澤 文雄 氏
米澤 文雄 氏米澤 文雄 氏米澤 文雄 氏

「当たって砕けろ」精神と圧倒的な“頼られ力”を持ち、料理界で独自の存在感を放つ

【The Burn】米澤 文雄ステーキ

東京・青山に「超ポジティブ思考」のシェフがいる。21歳のとき、なんのツテもないまま単身渡米。ニューヨークにある3つ星レストランの門を叩いて運よく拾われると、見習いからスーシェフにまで登り詰めた。そのスタンスは、飲食業態への逆風がすさまじいコロナ禍においても変わることがない。客足が遠のこうとも弱音を吐かず、笑顔で通す。自由に外食できる日常が戻ったときに人々に指名される店となるよう、さまざまな方面で種をまき続けている。今回は、そうしたつねに前向きの姿勢を貫く料理人・米澤文雄のヨコガオに、じっくりと迫ってみた。

Interview

やらなきゃ、何も始まらない

2018年にオープンした【The Burn】は、NYスタイルの空間でステーキなど豪快な炭火焼グリルを中心に、ヴィーガンやグルテンフリーの料理なども提供する。「自分をエンドユーザーとして考え、食べたい料理、来たい店をつくった」と米澤シェフ。

——ヒトサラのアワード「ベストシェフ&レストラン 2020-2021」では、米澤シェフは“コロナ禍でも飲食業界を盛り上げたシェフ”の一人として、他のシェフから選ばれました。医療関係者への食事提供など、ボランティア活動が理由になったようですが、2回目の緊急事態宣言を受けて新たに始めたことはありますか?

20時に閉店した後、週に2~3回、スタッフと勉強会を開くようになりました。僕はソムリエの資格を持っているので、あるときはワインの抜栓の仕方や注ぎ方、味わいの表現方法などをレクチャーしました。調べればわかることもありますが、ちゃんと理解していないスタッフもいるので、知るきっかけをつくっているという感じですね。それから、レストラン英会話をテーマにしたインスタライブも始めました。コロナ禍が落ち着いて外国人が再び来日するようになったら、当然ながら英語力が必要になる。ただし、本で英語を勉強するのはしっくり来ないという人って多いと思うんですよ。それで、僕と、うちの店で働く英語圏のスタッフとで、こんな言い方するよね? これって失礼かな? こういう風に言うと本物っぽいよね?とかけ合いしながら、楽しく配信しています。

レストラン英会話のインスタライブ用につくられたアイコン。イラストが得意な店のスタッフに描いてもらったという。

——レストラン英会話のインスタライブとはユニークですね。そもそも、なんで始めようと思ったんですか?

思いつきです。コロナ禍でレストランから客足が遠のいて「なにかお客さまの目にとまることはできないか」と考えたときに、ふとひらめきました。いまは無料で配信していますが、本当に需要があるとわかったらサブスクリプションに移行してもいいし、回を重ねたらアーカイブ集をつくってもいいかもしれません。ついでに、こんなことをやる米澤シェフってどんな人なんだろう、シェフがいる【The Burn】に行ってみたいな、と興味を持っていただけたらラッキー。

——前向きで清々しい。

なんでもやってみないとわからないじゃないですか。だから、とりあえずやってみるんです。で、やれそうなものは続ける。ダメだと思ったら、さっと手を引く。

——単純明快。「当たって砕けろ」の精神ですね。

僕は、これまでずっとそのスタンスで生きてきました。ニューヨークでジャン・ジョルジュに出会ったときもそうです。一緒に働きたかったから、ツテはなかったけどアタックしてみた。そしたら、雇ってもらえた。じつはそのときの僕の全財産は30万円ぐらいだったのですが、行っちゃえばなんとかなると信じて疑いませんでした。よほどのことがないかぎり死ぬことはないだろうし、もうダメだと思ったらそのとき日本に戻ればいいのですから。結果的に見習いから日本人初のスーシェフに抜擢されて、しかも帰国したら今度は【ジャン・ジョルジュ東京】のシェフ・ド・キュイジーヌに。人生はどう転ぶかわかりませんよね。

写真左:勢いで渡米し、ニューヨークの3つ星レストラン【Jean-Georges】で働き始めた20代前半の米澤シェフ。右:2014年、【ジャン・ジョルジュ東京】の開業時(34歳)に師匠のジャン・ジョルジュ氏と。

大切なのは、相手の満足

米澤シェフが上梓した『ヴィーガン・レシピ』(3,080円/柴田書店)は発行部数1万部を突破。

——ところで、米澤シェフといえばヴィーガン料理のレシピ本が好評です。SNSに「人生を変えるできごとだった」と投稿していましたね。

はい。ヴィーガン料理を手がけるようになってからまだ2年ぐらいしか経っていないにもかかわらず、あの本が売れたおかげで僕はヴィーガンの第一人者のように扱われるようになりました。ヴィーガンに関する企画のオファーもたくさんいただいています。

——ご自分ではヒットの理由をどのように捉えていますか?

僕はなにかオファーをいただいたら、相手が僕にどんなアウトプットを望んでいるかを真剣に考えます。この本についてもそうでした。針の穴に糸を通すような緻密なものではなく、一般の人がトライできるような親しみやすいレシピを考案することに注力した。だからかもしれません、大勢の方に受け入れていただけたのは。もしかすると自分を殺してつらくないですか? なんて質問したくなるかもしれませんけど、そんなことはありません。むしろ求められていることに対して一生懸命応えようとすると、それなりにいいポジションで仕事ができるし、活動の幅も広がります。

——たしかに米澤シェフはさまざまなプロジェクトに関わっているように見受けられます。差し支えなければ、同時に進行している企画にどんなものがあるか教えてください。

まずは【The Burn】のシェフとしての仕事に、僕が所属しているソルト・コンソーシアムの運営による広尾の2店舗のフォロー。それから、毎週火曜日は専門学校で非常勤講師。あと、新しい料理本を制作しているところなので、その撮影もこなしますし、DEAN & DELUCAのフードディレクターとしてミーティングに参加したり、さっきも言ったヴィーガン関連の企画を手がけたり……今回のようにメディアの取材を受けることもありますよね。ああ、そういえば、ちょっと前のことですが、楽天市場にジビエのレシピを提供しましたよ。一般家庭に向けて発信するコンテンツだったこともあってか、ジビエについては門外漢だった僕にお話を振っていただいたようです。友人には「ジビエにまで手を出すのか!?」と笑われちゃいましたけど(笑)。

「いったい何人いるの!?」と思ってしまうほど米澤シェフの活躍は幅広く、精力的だ。写真は、食育活動「味覚の一週間」の一環で、小学校で講師を努めた米澤シェフと、【Restaurant Sola】の吉武広樹シェフ。

——米澤シェフなら期待に応えてくれる。そういうことですよね。

自分で言うのもなんですが、僕はバランス感覚に長けているので、平均点を高く出す自信はものすごくあります。それと、自分の料理人としての立ち位置を十分に理解しているんですよ。トップシェフじゃない、「中の上」だ、って。だから、僕がやるんだったらこういう料理じゃないと嫌だとか、そんなこと言わないし、思わない。詰まるところ、「類は友を呼ぶ」ということではないでしょうか。楽しそうに一生懸命やっている人のところには楽しいことを仕掛けたい人が集まってくる。

インタビューにも全力で応える米澤シェフ。その姿には「この人の話はもっと深掘りしたい」と思わせるなにかがある。レシピ本のヒットについては「運がよかった」とも評したが、そうではない。技術や経験は然ることながら、類まれなるバランス感覚を持ち、己を客観視する力に長けているからだろう。

ライフスタイルの延長線上に仕事がある

——さて、話は変わりますが、昨年、米澤シェフは40代に突入しました。一般的に20代はがむしゃらに種を撒き、30代はそれを育て、40代で収穫する時期といわれますが、シェフ自身はどんな40代を送りたいと思っていますか。

きれいごとを言うと、料理について勉強することはまだまだあると思います。一方、人生の折り返し地点に立った気もしているので、第一線で働きながら業界に対して恩返しをしていきたいですね。

——なにか具体的なビジョンはありますか。

やはり人材育成に取り組みたい。僕は会社の理解もあっていままで自由な活動が許されてきましたが、コロナ禍を経て日本におけるレストランのビジネススキームが崩れたことにより、これからは箱に頼らなくてもやっていける人が生き残れる時代になると改めて感じています。なので、たとえば30歳前後の人たちにワークショップを開催し、技術を教えるのではなく、シェフとはこういうものだ、マネージャーはこんなことを考えなきゃいけないんだと、思考するきっかけをつくってあげたい。ちょっと話がそれますが、【The Burn】の店名には“サスティナブルグリル”という冠言葉が付いているんですよ。この店を、スタッフにとってできるだけ長く働ける環境にしたいという思いからであり、だからこそ働いていて楽しいと感じられるようにみんなに積極的に声をかけたり、最近では勉強会を開いたりしてコミュニケーションをとってきました。つまり、それをもっと大枠でやるイメージです。

「行き当たりばったりの人生のようでしたが、僕もそれなりに戦ってきたので、なにかしら役に立つ話ができると思う」と米澤シェフ。

——最後に、ぜひこの世界を目指す若者にひと言、いただけますか。

そうですね。シェフって、いい職業だと思うんです。けして楽ではありませんし、今回のコロナ禍でも前代未聞の打撃を食らっていましたけど、シェフがおいしいものを生み出すことによって救われた人、癒された人はたくさん、たくさんいます。その感動を生む方法には無限の可能性がある。それが、この1年で見えてきました。レストランに来てもらえないなら、お客さまがいるところに届ける。会うこともできなければ、SNSを通じてたとえばレシピやインスタライブを発信する。大事なのは、それを楽しみながらやることです。仕事としてではなく、ライフスタイルとして。もしかすると、それが一番むずかしいのかもしれませんが、どうしたら楽しみに変えられるかについても、僕なりの方法論を発信していきたいですね。あとは繰り返しになりますが、とりあえずやってみることです。宝くじもそうでしょ。買わなきゃ当たらない。だから、こんなことをやってみたらどうかと思ったら、失敗を恐れずにトライしてほしい。ダメだったら、別の方法を探せばいい。もちろん、とことん努力することが前提ですけどね。

撮影/岡本 裕介 取材・文/甘利 美緒 2021.1.29取材

味わいたい至極の逸品

『カリフラワーステーキ カルダモンと自家製アリッサ』

「マイノリティにも食事できる場所をつくりたい。メニューの中心は肉料理としながらも、グルテンフリーの人も食べに来られるようにヴィーガン料理も出そうと考えた」。そう語る米澤シェフの想いが込められた一皿がこちら。拳よりも大きいカリフラワーがたっぷりのオリーブオイルで揚げ焼きにされていて、ボリューム満点。自家製アリッサのスパイシーな香りが食欲をそそり、ワインも進む。

米澤 文雄

1980年、東京都出身。恵比寿【イル・ボッカローネ】で修業後、22歳で単身ニューヨークへ渡る。インターンを経て、ミシュラン3ツ星店【Jean-Georges】で日本人初のスーシェフに。帰国後、都内のレストラン数店でシェフを務めた後、【Jean-Georges Tokyo】オープン時からシェフ・ド・キュイジーヌとして活躍。2018年秋、【The Burn】をプロデュースし、料理長として腕をふるう。
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