アジア太平洋地域No. 1ピザが生まれるまで
ピザ窯を取り囲む8席だけのカウンター。2023年2月の改装で、椅子はより座り心地のよいものに変更された。
――「50 Top Pizza Asia Pacific
2023」でNo.1、そして「アジアのベストレストラン50」でリスト入りされました。おめでとうございます。
1位に選ばれたこと、誇りに思います。ここにたどり着くまでに10年かかりました。レシピの改善はもちろんですが、ここに至ったのは北海道から沖縄まで日本全国の生産者の方々、イタリアの小麦粉とトマトソースのパートナーなど、多くの協力者やパートナーのおかげだと思っています。 日本に来てから、寿司や日本料理を通して「日本の食文化」を学んだことで、料理を通じて目の前の人と深くつながることの素晴らしさを教えてもらいました。つまり、お店で提供できるピザという体験の中に、新しい人たちとの出会いも組み込めるのではないかと。そのすべての組み合わせが、私たちのピッツァバーでの体験を、特別ユニークにしているのだと思います。
――「ユニークな体験」という言葉が出てきましたが、お店での体験についてもう少し具体的に教えていただけますか?
ランチでは、前菜とデザートを加えたピザのアラカルトを。ディナーでは、前菜にはじまり、目の前で焼き上がる8種類のピザを1スライスずつ召し上がっていただき、最後のデザートまで含めたおまかせピザ体験のコースをご用意しています。ピザには日本の旬の食材を使い、四季折々の味を楽しんでいただけるのが特徴です。
一流の寿司店や日本料理店と同様に、最初に食材がプレゼンテーションされるのも“食体験”を一層盛り上げてくれる。
――そもそも、ダニエレさんはなぜ料理の世界に入られたのでしょうか?
父が料理好きで、人が集まる時にはみんなに料理を振る舞っているのを、子どもの頃から見ていました。いま思えば、それが料理に対する情熱を与えてくれたのではないかと思います。 当時は、子どもらしく甘いものが好きだったので、最初に夢中になったのはお菓子づくりでした。例えば、メレンゲは卵白の泡立て方などにコツが必要で、手間もかかりますがそうしたプロセスも子どもの私にとっては魅力的なものでした。 故郷・ローマの料理学校を卒業して、三つ星レストラン【La
Pergola(ラ・ペルゴラ)】のハインツ・ベック氏のもとで働きました。そこでは、キッチン内の規律から料理に対する細かなこだわりなど、レベルの高いファインダイニングの世界を学びました。それから世界で経験を積もうと、ロンドンのフランス料理【Clerkenwell(クラーケンウェル)】の扉を叩き、最終的に料理長も務めました。 その後、ローマに戻って、小さいながらも自分の店をオープンしました。光栄なことにミシュランガイドの星もいただいたのですが、数年もすればその小さなサイズ感を飛び出して、「もっと大きなことに挑戦したい」という思いが出てきたので、改めて旅に出ることを決意しました。カイロ、バンコクのホテルで、さらなる経験を積み、最終的に日本に辿り着いた、というわけです。
――なぜ、日本だったのでしょうか?
実は、ロンドンにいた15年ほど前から、「いつかは日本の女性と結婚して、日本で働きたい」と周りの人たちには話をしていました。日本には卓越した精密な職人技と、季節感に溢れた素晴らしい各地の食材がある。シェフにとっては、最高の方法で自分の技を表現できる場所だと思っていたからです。 そして日本に来たことは、やはり自分の人生で大きな転換点になったと思っています。
理想のピザを求める旅のはじまり
「料理で人を幸せにしたくて料理人になった。【ピッツァバー on 38th】はその原点を思い起こさせ、情熱をかきたててくれる」
――日本に来てから、どんないきさつでこの【ピッツァバー on 38th】に関わることになったのでしょう?
当店がオープンしたのは、当時の「マンダリン オリエンタル
東京」の総支配人のアイデアでした。入社したときの私の肩書きは副総料理長で、ホテル内でのいくつかのレストランのコンセプトを見直す役割をいただきました。その一つが、ピザ窯がある8席のカウンター席の利用だったのです。 【ピッツァバー
on
38th】という店をつくるにあたって、私は10代の頃からずっと心の中にあったピザをつくろうと決心しました。それは“ピッツァ・アラ・パーラ”というローマの伝統的なスタイルのピザで、10代の頃、私はランチに毎日そのピザを買っていたのです。私が考えるに、従来のピザに比べてよりヘルシーで、食後感も軽い。満腹感を感じずに、たくさんの量を食べられるピザでした。
水分量が多くもっちりとした生地は、赤ちゃんのほっぺのようなやわらかさ。今も生地の改良に余念がない。
――従来のピザとは、具体的にどんな風に違うのでしょうか?
イタリアには数多くの種類のピザがあります。 一番有名なのは、ナポリ発祥の“ピッツァ・ナポレターナ”。次にローマ発祥の“ピッツァ・ロマーナ”と、“ピッツァ・アラ・パーラ”があります。これら3つの違いは、小麦粉の種類、小麦粉と水の比率、イーストの量にあります。“ピッツァ・アラ・パーラ”は水分が多く、発酵時間が長い。イーストも少ししか使わないのが特徴です。 とくに私たちが提供するのは、最長で48時間と発酵時間が非常に長く、高い加水率で酵母もごく少量しか使用しません。結果として非常に軽く、サクサクした食感が生まれ、消化しやすくもなります。
マラソンなどスポーツを愛好するカーソン氏のピザ。野菜も多用し、サラダ感覚で食べられる軽やかなものも。
――五つ星ホテルのエグゼクティブシェフは、とても忙しい立場だと思います。それでもダニエレさんは、時間があれば窯の前に立って自らピザをつくっています。なぜそれほど魅力的なのでしょうか?
「マンダリン オリエンタル
東京」のような大きなホテルでいくつものコンセプトが異なるレストランを束ね、多くのシェフのリーダーになるのはもちろん光栄なことです。しかし同時に、私自身が情熱を傾けてきたのは料理人として、料理を通してお客様に幸せな時間を過ごしてもらうことです。 エグゼクティブシェフになると、管理業務や会議も多く、厨房から離れなければいけない時間もあります。その中で【ピッツァバー
on
38th】という場所は、大好きな料理を自分の手でつくり、お客様に提供する喜びを私に与えてくれる。つまり、私が「一人の料理人に戻れる場所」なのです。だからこれを失いたくありません。それを実現するためサポートしてくれている、多くの仲間たちには本当に感謝しています。
日本の職人技への敬意から生まれた
「おまかせピザ」
緑色と黄色のズッキーニ、ベビーズッキーニ、花ズッキーニなど、ズッキーニ尽くしの『ズッキーニとパンチェッタ』
――ピザづくりはどこで学ばれたのですか?
たまたま、ローマの著名なピザ職人、ガブリエレ・ボンチと学生時代の旧友でした。【ピッツァバー on
38th】をオープンすることになり、一度ローマに戻って、彼からピザづくりについて学びました。 「新しいプロジェクトで、“ピッツァ・アラ・パーラ”をつくることにした」と彼に話すと、すぐさま「一緒に来て」と厨房に連れて行かれました。彼の店は大繁盛店なので厨房は大忙しでしたが、私は彼のチームと一緒に夜通しそこで、ピザづくりについて学んだのです。 何日かそのように働いてみると、この【ピッツァバー
on 38th】で何をやるべきかが、具体的に見えてきました。そのアイデアは、旬の食材を使った日本らしいピザを生み出すことでした。
収穫したての甘いグリーンピースのピザ。仕上げにはフレッシュな豆苗でみずみずしい香りと食感も楽しんで。
――日本の寿司店からもアイデアのヒントを得たとか。
当初、私はホテルの副料理長として寿司職人も探していて、それこそすべての「東京の高級寿司店で食べた」と言えるほど、多くの店を訪れていました。その中で感じたのは、“シャリ”の重要性です。 炊き方にしても人それぞれで、ある職人は2種類の米を使ったり、ある職人は酢に砂糖を入れたり、シャリの温度にこだわったり……。一見シンプルな調理の中に細部までこだわりがある。それを知るにつれ、シャリとピザ生地を重ねて考えるようになりました。 そして、寿司と同じように、季節感のある食材を使って、生産者との協働が感じられるような「おまかせ」スタイルのピザ体験ができるのではないかと考えたのです。
――おもしろいことに、酢飯の「赤酢」と「米酢」の使い分けのように、2種類の生地を使っていますよね。それぞれどんな生地なのでしょうか?
現在は2種類の生地とも、イタリア産のオーガニック小麦粉5種類をブレンドしてつくっていて、トマトベースとチーズベースの生地でブレンドの比率を変えています。トマトベースは軽くて香ばしい生地になるように、チーズベースは風味豊かな生地がより合うと、考えているからです。
「日本の旬の食材を使ったピザを通して、日本の自然の豊かさをも表現し、食べる人に伝えていきたい」と語る。
目指すのは「美食としてのピザ」
――日本の旬の食材を使っているのも、大きな特徴の一つです。
自然への敬意を示す表現としても、季節感はとても大切です。それは、自分たちの周りで起こっていることに敏感でなければできないことだからです。私たちがつくるピザを召し上がってもらえば、季節がもつ美しさは自然がもたらすものだ、ということに気づいていただけるはずです。 山菜は決まった時期にしか手に入りませんし、新鮮なポルチーニは一年のうち数週間しか食べられません。グリーンピースも、ズッキーニも、それぞれの食材に旬があります。これらの素晴らしい食材を育てる生産者の方々は、いわば自然のエキスパートです。素晴らしい食材を使うことで生産者を守り、良い循環を生み出したいとも思っています。
――そうした旬の食材を使ったピザは、シンプルでありながらとても奥深く複雑な料理でもありますよね。
ファインダイニングで得た経験とスキル、情熱は、料理を洗練させると思っています。ハイレベルな基準を知った上でピザをつくるのですから、当然ピザづくりにもそれらの背景が生きてくるわけです。 これまで、常により高いレベルを求めて新しいことを生み出すシェフたちと仕事をしてきました。彼らと共有したもの、私が過ごした時間にもとづく細部へのこだわりは、調理プロセス全てに生きています。小麦粉のブレンド比率、焼き方など、生地一つとっても、いくつもの要素を考え抜いて正確に実行することで、それが新しいおいしさを生み出すことにつながっているものだと考えています。
シンプルだからこそ、ごまかしがきかない。正確、精密さを重んじる潔さは、愛する日本の文化にも共通するもの。
――この「おまかせピザ」のスタイルが世界に広がる可能性を感じさせてくれたのが、先日香港で行われたポップアップイベントです。
2023年2月に、店内を一部改装するために【ピッツァバー on 38th】を閉めていた時期がありました。その間、姉妹ホテルの「ザ ランドマーク マンダリン オリエンタル
香港」でポップアップをする機会がありました。リチャード・エッケバシェフが率いるミシュラン二つ星の【AMBER(アンバー)】のプライベートダイニングルームをピザカウンターに改装して2週間、ポップアップレストランを開いたのです。 12日間の営業は初日から満席で、とてもいい評価をいただきました。1週間後には700名ものゲストがウェイティングリストに登録され、数日間の延長が決まったほどです。香港で料理をするのは初めてでしたが、ランチ2回転とディナー2回転ととても忙しく、充実した時間を過ごせた素晴らしい体験でした。
――「おまかせピザ」の展開は今後もいろいろ考えておられますか?
オリジナルの「おまかせピザ」のコンセプトは、これからますます広がっていくと思います。2023年夏には、ギリシャの「マンダリン オリエンタル
コスタナヴァリノ」内にオープンする予定の【Pizza
Sapienza(ピッツァ・サピエンサ)】というレストランのオープニングの手伝いや、コンサルティング業務も担当する予定です。東京と同じく、ランチはアラカルト、ディナーはおまかせというスタイルです。 今後、さまざまな施策を考えていますので、お知らせできる段階になるまで楽しみにいただければと思います。
日本の職人技に魅了されて来日。ピザとともに、日本の精神性も発信していきたい、と語るカーソン氏。
――最後に、思い描いている将来についてお聞かせください。
今回の受賞、そして世界への展開は、私のキャリアにとっても大きな節目となるものですし、もっとこのコンセプトを世界に広げたいと考えています。ファインダイニングの視点を取り入れることで、大好きなピザがもっとおいしくなることを皆さんに知ってもらいたい。まだまだ、従来のやり方から改善の余地はたくさんあると思いっています。 私自身、さまざまな賞をいただき、注目していただくのはとてもありがたく嬉しいことであると同時に、もっと努力をしなければと身が引き締まる思いで日々を過ごしています。この気持ちを忘れずに、さらなる高みを目指してピザをつくり続けていきたいですね。
撮影 / 今井 裕治 取材・文 / 仲山 今日子 2023.6.12