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  3. 「帝国ホテル 東京」杉本 雄氏インタビュー – 伝統と革新、新時代のホテル料理長
杉本 雄 氏杉本 雄 氏杉本 雄 氏
杉本 雄 氏杉本 雄 氏杉本 雄 氏

伝統を紡ぎ、さらなる革新へ
新時代のホテル料理長

【帝国ホテル 東京】杉本 雄フランス料理

1890年(明治23年)、近代国家を目指し、海外の賓客を迎えるためにつくられた最初の迎賓館「帝国ホテル」。以来、日本最高峰のホテルとして君臨し続け、食の面においても130年以上国内外のVIPの胃袋と心を掴んできた。2019年、帝国ホテル 東京料理長に38歳の杉本 雄氏が着任したニュースが流れると、若き料理長の誕生が業界では大きな話題となった。それから3年。杉本氏はコロナ禍を経験しながらも、時代の流れの速さに呼応するかの如く、レストランやホテルショップの改修、リニューアルオープンの陣頭指揮を執り、次々に新しい試みを発表してきた。「プレッシャーはないのか?」という質問にも、「感じたことはありません。自分がやってきた以上のことは出せないですから」と余裕の笑顔だ。数百人をまとめ上げ、未来に突き進む若きホテル料理長は今何を考え、どこを見ているのか。密着取材をした。

Interview

350人の料理人を束ねるホテル料理長の仕事

帝国ホテルのロビー正面。冬は約1000本のプリザーブドフラワーのバラを使用したドーム型の装花が重厚感ある空間に華やかさを添えている

――杉本さんが帝国ホテルの東京料理長に就任されたのはいつでしょうか?

2019年の4月に就任しました。

――当時38歳。30代の東京料理長が誕生と、かなり話題になりましたね。

私は14代目になります。“若い料理長が誕生”と注目されていたと思いますが、実は130年前、帝国ホテルの初代料理長は37歳で料理長に就任しています。もちろん、当時と人生100年時代の今とではそのまま比べられないかもしれませんが、30代で役職を与えて食の責任者を任せることは初代から始まっていた。つまり、それが帝国ホテルの考え方。若手にも挑戦させるということは、帝国ホテルがもともと持ち合わせるDNAなんだと思います。

――東京料理長に就任されてもうすぐ3年。苦労されたことはありますか?

帝国ホテルには12のレストラン、バーラウンジ、ホテルショップ、宴会があります。苦労は感じませんが、全体の食を統括する立場からの課題は感じます。帝国ホテルにいらしてくださるお客様に、おいしいものを出すのは当たり前のこと。それ以上の付加価値で、どうお客様にご満足いただくかが大事だと思っています。その見えない付加価値を形にするために周りを巻き込み、組織や部署の垣根を越えて、一丸となってやっていかなければなりません。どのように一つのチームになって、さらなる高みを目指していくかは常に課題ですね。

――大きな組織を束ねていくのは、難しいところもあると思います。心がけていらっしゃることはありますか?

一番大きい原動力は、お客様の声です。日頃からお客様の声をより多く集めるよう心がけています。そこでのポジティブな言葉は、我々を一丸にする推進力になってくれます。また、日頃から現場とのコミュニケーションは大切にしています。全部署を1時間半かけて回る「朝のミーティング」が、朝のルーティーンです。

「帝国ホテル」東京料理長、杉本 雄氏。1980年生まれの41歳

――「朝のミーティング」に同行させていただきましたが、大変な数の部署があって、歩くだけで目が回りそうでした。急ぎ足で回っても1時間半かかりましたね。

私のデスクがある2階から始まって、宴会部門の冷菜・温菜の部門と打ち合わせをし、ベーカリー、肉を扱うブッチャー部門、【レ セゾン】、【嘉門】などの直営店のキッチン、【インペリアルバイキング サール】や【パークサイドダイナー】などのセントラルキッチン、ペストリー部門、従業員食堂などを回ります。その後、【ホテルショップ ガルガンチュワ】など表の売り場も回ります。

それぞれの部署で試作したものを試食したり、その日のお客様について配慮すべき点を聞いたり。イベントの確認、スタッフからの相談なども受けたりします。この「朝のミーティング」のときに、各現場のお客様のお声などをヒアリングしていきます。

――最後は、ロビーでコンシェルジュの方ともお話しされていましたね。

お客様の声はコンシェルジュにも届きます。チェックアウトしたとき、ホテルに宿泊された感想などをお客様が教えてくださるので、実際に体験された上での貴重なご意見を聞くことができます。いいことも、悪いことも日々確認することが、お客様に少しでも満足していただくにはどうすべきかを考える大切なヒントになるんですよ。

ホテルロビーのコンシェルジュデスクで「朝のミーティング」を行う杉本氏

“杉本 雄”でなければならない仕事をする

「朝のミーティング」以外にも、イベントや宴会などの構想の打ち合わせも多い。その合間を縫って新作の試作などの厨房での仕事をこなす

――料理長就任から3年の間に、【インペリアルバイキング サール】のリニューアル、【ガルガンチュワ】や【ラ ブラスリー】のリニューアルオープン、初の直営日本料理店【帝国ホテル 寅黒】のオープンなど、いろいろとビッグニュースが続きました。料理長としてはどのようなことをされたのですか?

料理長の仕事で言えば、各店舗のコンセプトからの提供方法、メニューなどを提案し、会議や試作を重ねて決めていきます。例えば、【ガルガンチュワ】で提供するスイーツや惣菜は、それぞれ5、6回以上の試作を重ねました。【帝国ホテル 寅黒】は初の直営日本料理店ですが、店で働くスタッフはもともとホテルのフランス料理出身の者。彼らがどんな様子かをヒアリングしたり、お客様の様子の共有も仕事です。でも、こうしたことはリニューアルなどの特別なタイミングだけではなく、毎日のことです。

――新生【ガルガンチュワ】のお菓子は驚くほど変わりました。

優秀なパティシエチームがいますから、職人のテクニックを生かし、料理をつくるような感性を織り交ぜながら洗練されたお菓子をつくろうと思いました。最高のテクニックを駆使し、“帝国ホテルでなければできないこと”を形にしようと思っています。

新しくなった【ガルガンチュワ】のマカロン。1つ400円。ピスタチオやイチゴに加え、オリーブやトマトなど、料理の発想から生まれたマカロンはシャンパーニュなどにも合う味わい

――“帝国ホテルでなければできないこと”というお話が出ましたが、以前、「杉本でなければできない料理長の仕事をしたい」とおっしゃっていたことも印象的でした。

大きなホテルの料理長は、ともするとシンボル的な存在になってしまいがちです。でも、料理長がいることが重要ではなく、料理長の私が“何をするか”が重要だと思うのです。誰がやってもできる料理長像でよいなら私である必要はありません。

具体的に言えば、今までの伝統を受け継ぎ、大事につくり続けてきたレシピを後世に受け継ぐということは、料理長として重要な仕事の一つだと思います。けれども、プラスアルファで私ならではの仕事もしていく必要があります。例えば、「ル サロン アンティミテ」をつくったのもその一環ですね。 就任してしばらくしてから、お客様から「料理長のお料理はどこで食べられるの?」という声を複数いただきました。その時、顔が見える料理長になろうと思い、私が直接お客様をおもてなしするシェフズテーブルのようなレストランの個室プランを【レ セゾン】につくったのです。

――歴代料理長による「ル サロン アンティミテ」のような取り組みは今までなかったのでしょうか?

年に数回の美食会のようなものはありましたが、一料理人としてお客様に対峙して料理をつくりあげていくというのは、おそらくなかったと思います。「ル サロン アンティミテ」は1日1組限定で、【レ セゾン】の個室にてお客様をお迎えします。料理はすべてゲストごとにオートクチュールでお出しします。料理はもちろん、デクパージュからサービスまで私がおもてなしいたします。

予約が入ると、【レ セゾン】の個室の一つがシェフズテーブルに。「ル サロン アンティミテ」は杉本シェフがゲストのために料理から演出までオートクチュールでおもてなしする1日1組の特別な体験。1名6万円(税込み、飲み物・サ別)2名から10日前までの予約受付

――それは贅沢ですね! 皆さま喜ばれるのでは?

「本当に料理長が来るんだ」と驚く方もいらっしゃいました。また、最初は帝国ホテルの会員のお客様が多かったのですが、最近は興味をもって来てくださる会員以外の方も増えてきました。先日は「ル サロン アンティミテ」でプロポーズしたいとお越しになった方がいらっしゃったんですよ。直接自分の料理に対してお客様の反応を伺うことができるというのは、ホテルの料理長としては、なかなか普通味わうことができないことですから。私としても重要なお客様との接点になっています。

焦がれて入ったホテルを退社し、フランスへ

「ル サロン アンティミテ」のスペシャリテの一つ『手長エビのモダンなサンドイッチ』。エビの爪をクルトンで揚げたフライも一緒に登場。エビを丸ごと楽しむ料理

――パリの三つ星レストラン【ホテル・ル・ムーリス】のメインダイニングで、シェフを務めた杉本さんですから、そのお料理を食べたいという方が多いのも納得です。杉本さんはもともと帝国ホテルに入社してから一旦退社してフランスに渡られて、その後再入社されたんですよね。

はい。帝国ホテルは高校卒業の頃からどうしても入りたいと焦がれていた場所でした。調理師専門学校卒業後、応募するも料理人枠では空きがなくて、帝国ホテルに当時あった【レインボーラウンジ】でアルバイトをしながら空きを待っていました。一年が過ぎようとした頃、ようやく料理人枠に空きが出て、入社し【レ セゾン】の調理場で働きはじめたんです。

ところが4年ほど経った頃に、当時イベントで帝国ホテルが招聘したパリの三つ星レストラン(当時は二つ星)【エピキュール】のエリック・フレションシェフの料理を見て衝撃を受けてしまいました。おいしさ、美しさ、その佇まいが当時の日本のフランス料理とは全く違いました。その衝撃が忘れられなくて、フランスに行きたい気持ちがどんどん膨らみ、退社を決意しました。

――恋焦がれて、やっと入った職場を辞めると決めたとは相当のことだったんですね。

お世話になった当時の田中総料理長に「フランスに行きたいので退社します」と伝えたら在籍しながらの勉強などを勧められましたが、退社すると心に決めていました。もう、日比谷の地に足を踏み入れられないと思い、退路を断つ気持ちで渡仏しました。けれど、フランスでは苦労の連続。納得のいく働き先を見つけるのは大変でした。ブルターニュのビストロから始まり、サンマロの二つ星、パリの日本人経営のレストランなどを2年ほど転々としました。最終的に労働許可証を取得することができ、手紙を出して面接をして働くことになったのが【ホテル・ル・ムーリス】でした。

――やはりパリでやるなら三つ星レストランで働きたかったんですか?

そうですね。【ホテル・ル・ムーリス】は私が入った翌年の2007年に三つ星になりました。パリの三つ星での仕事は刺激的でした。8年間働きましたが、ヤニック・アレノシェフは本当に私をよく見てくれていました。部門シェフをすべてやってレストランシェフに任命してくれたときに、「ユウ、コンクールに3つチャレンジしなさい」とコンクールのエントリーを勧められました。自分の実力がどのくらいなのか試しなさいということだったのでしょう。アレノシェフは、「あいつなら勝ち抜ける」と信じてくれていたと思います。実際、「プロスペール・モンタニエ国際料理コンクール」で優勝、「<ル・テタンジェ>国際料理賞コンクール」ではフランス国内大会で優勝し、フランス代表になりました。その後のインターナショナルコンクールでは2位になることができました。これらの経験は自分の自信にもなりました。

アンティミテではお客様の目の前で盛り付けをするワゴンサービスが行われる

――充実したフランス生活から、なにがきっかけで帰国をされたのでしょう?

【ホテル・ル・ムーリス】を辞めてロンドンの二つ星レストランのシェフの仕事をしていたときに、日本から田中元総料理長が私を訪ねてきてくれました。そして「次の料理長の候補として帝国ホテルに戻らないか」と言ってくださった。もう二度と日比谷の地は踏めないと思っていた私にとっては、心から嬉しいお話でした。ただ、「他にも候補の人間はいる。戻って来ても料理長のポジションの保証はない。皆と同じ条件でスタートしてくれ」とも言われました。でも、自分の力を試してみたい。田中元総料理長に応え、帝国ホテルで再び働きたい、そう思って帰国したのです。

――帰国されて宴会部門に配属されて、2年後に料理長に就任されるのですね。

田中元総料理長が、私に足りない部分の経験を積ませてくださったと思います。宴会はホテルならではの重要な部門ですから。料理長になったからには、期待してくださった思いに応えるべく、やはり全力でやらないといけないと思っています。

――フランスに行ったからこそ、学んだことはありますか? 例えば、ヤニック・アレノシェフやアラン・デュカスシェフからはどんなことを学んだのでしょう?

アレノシェフからは具体的な料理のテクニックというよりも、シェフとしての考え方を学びました。よく言われていたのは、「クリエーションのモーターを回し続けなさい」ということ。「常に先をいかなければいけない。人に真似されなければいけない。真似されたら、さらなるクリエーションをしなさい。」とも言われていました。お客様を惹きつける話し方、トップシェフの立ち居振る舞いは本当に勉強になりました。

デュカスシェフからはテクニック的なことを学びました。彼は、料理に本質があらわれているか、ということを徹底して考えていました。例えば、ビーフをベースにしたソースをつくるとして、目を瞑ってソースを味わったときに明確に牛肉を感じられないのは失格です。使った食材のキャラクターがきちんと生きているか。そしてそのソースは、この料理に本当に必要なものなのか。そこに対する厳格さは群を抜いていました。とても勉強になりましたね。

『ホタテのエトフェ トリュフとともに』。取材した12月においしくなる殻付きの帆立の旨味を存分に生かした一皿

――ホテル全体の料理にも、「ル サロン アンティミテ」の料理にも、そうした考えは生かされているのですね。

はい。それは根底にあると思います。けれど大前提はまず、お客様を楽しませることが一番です。例えば「ル サロン アンティミテ」では、最初のアミューズをお出ししたときに、塩加減について伺います。そこでそのゲストの味覚の感じ方を知り、その後の料理に反映させていきます。料理の見た目なども喜んでもらえるよう心を砕きますね。例えば、『手長エビのモダンなサンドイッチ』は、サンドイッチにマッシュルームのデコレーションをしてヴィジュアル的なインパクトを出しました。中の具は駿河湾のフレッシュな生の手長エビを塩とオリーブオイルでシンプルに和えたもので、それをカンパーニュで挟んでいます。バターとエビの頭のコライユソースと、殻でつくったパウダーを添えています。蟹爪のフライのように仕立てたエビの身をクルトンで揚げたものと一緒にお出ししています。

――一度見たら忘れられないインパクトのあるお料理です。「ル サロン アンティミテ」では、お客様の目の前で盛り付けるなどの臨場感も大切にされていますね。

それは大切にしています。例えばこのホタテの料理は、殻付きのホタテ貝の隙間にトリュフを一枚忍ばせて、紐で縛って殻ごとオーブンでローストします。そうすると自分の水分で蒸し焼きになるんです。それをワゴンに乗せてお客様の目の前で紐をカットし、開いて香りがたったところで盛り付けていきます。立ち上る香り、目の前で料理が仕上がる様を感じることができる。そうしたライブ感あふれる工程もまた、お食事の楽しみにしていただきたいと思っています。

――料理については、何か意識されていることはありますか?

このソースは、ホタテのヒモをベースにしたソースです。残ったヒモは乾燥させてパウダーにしています。緑のソースはケールのオイル。さらにフレッシュのケールとフライにしたケール、2つの異なる味わいのサラダを添えています。ひと昔前のホテルフレンチはさまざまな食材を多種使うことが贅沢だとされていましたが、私は主となる食材を決めたら、その食材そのものの魅力をさまざまな方法で引き出し、重ねていくことに興味があります。食材は丸ごと無駄なく一皿に昇華させたい。食品ロス削減について注目が集まっていますが、もともと一つの食材を最大限に生かし、使い切るのは、本来のフランス料理の精神なのです。

未来を見据え取り組む、ラグジュアリーとサステナビリティの両立

2021年9月に販売開始をした『サステナブル ソルト 根菜』。2022年1月20日から『サステナブル ソルト 柑橘』も登場。各1,000円

――食品ロス削減といえば、ホテル全体でSDGsの目標達成のための取り組みも積極的にされています。

帝国ホテル全体ではSDGs11項目を対象としていますが、「食」に関しては「質の高い教育をみんなに」「人や国の不平等をなくそう」「つくる責任・つかう責任」の3項目の実現にむけた取り組みをはじめました。具体的には【インペリアルバイキング サール】で子どもたち向けの食育セミナーを行ったり、フェアトレードのチョコレートを導入するなどしています。「つくる責任・つかう責任」は、食品ロス削減、限りある資源への配慮などがあげられるでしょう。

もともと帝国ホテル初代会長の渋沢栄一の理念は、「企業は利益の追求だけでなく、社会の公益にも務めるべし」というものでした。時代に合わせてさまざまなサービスを生み出してきた革新的なホテルですから、今こそ、従来の“食”のラグジュアリーという概念を見直し、ラグジュアリーとサステナビリティを両立させることがお客様からも求められていると思います。

――お客様の変化も感じられていますか?

はい。とくにここ数年、お客様のラグジュアリーに対する価値感が変化していると感じています。当ホテルのお客様は、常にホテルで非日常的な時間を体験したいと訪れてくださいます。けれど、期待してくださる内容が少しずつ変わっている。例えば食に関していうと、以前は一番いい部分をふんだんに食べる、ということが贅沢だったかもしれません。今は、SDGsの目標達成のような道徳的なことが、お客様の体験に含まれることこそがラグジュアリー、という傾向になってきていると思います。

――時代の変化に伴って、お客様の求めるものが変わってきたと。

はい。例えば、先日発売になった「サステナブルソルト 根菜」。これは1日数十キロも蒸しあげるポテトサラダ用の芋の皮をすべて取り置き、オーブンでじっくり低温ローストしてパウダー状にし、塩とブレンドしたものです。こうした発想から、おいしい塩が誕生し、かつ今まで捨てられていた芋の皮にも価値を付けられました。さらに、この商品は購入していただくと環境保全団体に売上の一部が寄付されるような仕組みにしています。普段提供することの少ない部分を活用した商品ですが、売れ行きが好調なのはお客様の意識の変化の表れでしょう。例えばプレゼントとして購入するとしたら、先様に地球への未来への思いも届けられると、買う人も嬉しい。もらった人もそんなストーリーを聞いて嬉しくなるでしょう。もちろんその後食べて、おいしくてさらに嬉しい。ただの“モノ”ではなく、未来への思いが込められた商品だと思っています。売る側の我々も、環境保全に少しでも寄与しているんだと、誇りに思えますよね。

【インペリアルバイキング サール】でこの日使われるのは、愛媛から届いた養殖鯛

――【インペリアルバイキング サール】も、リニューアルのタイミングでタブレットを導入し、食品ロスを減らす取り組みをされていますね。また、養殖魚を積極的に使い、限りある海の資源に考慮していると聞きました。

帝国ホテルはバイキング発祥の地なのです。誕生してから60年以上が経ち、ずらりと並ぶ料理の中から、好きな料理を好きなだけ食べられるバイキングという食文化が生まれました。今回のタブレット導入は、新型コロナウイルスの流行という事態が起きて、安全・安心を確保しながら、本来のバイキングの楽しみ方を失わずに、お客様にお料理を召し上がっていただく方法を考えた結果、生まれたものです。不測の事態から生まれたことでしたが、オーダーが入ったものをつくりたてでお届けするので、廃棄していた料理の量が格段に減り、食品ロスの削減につながりました。

また、養殖魚を積極的に使おうとしたのは、古くからの日本に刷り込まれている、 “天然魚至上主義”に疑問を感じていたからです。今は養殖の技術も進み、クオリティがどんどんあがっている。海の資源を考えて、きちんと育てた養殖魚にも光を当てたいと思いました。養殖魚を我々のテクニックや表現で、ラグジュアリーな一皿に仕立てる自信もありますし、また魅力も感じています。

――2021年からは従業員食堂の運営を自社で行い、ここでも各レストランで廃棄となる食材をリサイクルするなど、食品ロス削減に対する取り組みをされています。

「つくる責任・つかう責任」の項目について取り組んだことの一つです。お客様に提供するレベルではないけれども、十分食べられるものをリサイクルして料理に生かしています。ですが、これは個人オーナーのレストランだったら“まかない”として普通にやっていること。今までは、“大きな組織”ということもあって誰も疑問を持たずに、当たり前に皆がやっていることができていなかっただけとも言えます。

この取り組みの大きな目的には、従業員の意識改革があります。かつては廃棄されていた食材で、こんなにおいしいものができるのにお客様に出せないの? と各従業員が思ってくれたら嬉しいですね。食材のロスを出さないようなレシピづくりをする、ということはこれからもっと取り組んでいきたいこと。地球の未来に想いを馳せた表現やレシピでつくる料理こそがラグジュアリーといわれる世界が遠からずやってくるでしょう。こうした日常の体験が少なからず、SDGsという考えを従業員全員に伝える大きな一歩になると思います。

従業員食堂の食事を調理するシェフたちとのミーティングも欠かさない

――これから料理長としてチャレンジしていきたいことはありますか?

引き続き、日本人にとって非日常の代表であるフランス料理に、未来を考えた道徳的なメッセージを込めていくことはしていきたいですね。もちろん、食べて、おいしいという本質は大前提です。また、帝国ホテルが持つ発信力は大きいと実感もしております。料理長として、ホテル業界をリードできるような食を通じた発信も積極的にしていきたいですね。

――そこは、杉本さんならではの発想力、発信力が発揮されるところですね。

杉本だから考えつくことや、できると思われることはどんどん提案していきたいです。けれど、提案を形にすることがゴールではありません。それを継続していくことこそが大切。伝統というのは、持続して育まれたものを、受け継いでいくことで初めて伝統になると思っています。

そういった視点で伝統を解釈すると、サステナブルな取り組みに自然と繋がります。その延長線上にある我々が表現する食というものが、これからどうあるべきか。食材をつくってくださる生産者、ともに働くスタッフやチームメンバー、なによりお客様に感謝しながら、何を提供することが一番重要なのかを追求し続け、伝統の一ページをつくっていきたいと思います。

撮影/今井 裕治 取材・文/山路 美佐 2021.12.6 取材

味わいたい至極の逸品

『茨城県産ぽろたんのモンブラン』

フランスで初めての星付きレストランで修業したとき、ペストリー部門から始めた杉本料理長。「デザートは料理の一環」と深い思い入れがあるのだという。四季折々の旬の果物を使った「ル サロン アンティミテ」にて杉本料理長がつくるデザートは、超絶技巧のアートピースのようだ。12月取材時には、茨城のぽろたんという品種の栗を余すことなく楽しむ美しいモンブランが登場した。大きく、甘く、香り高い栗の魅力を、スポンジケーキ、コニャック風味のアイスクリーム、ペースト、砂糖漬けなどさまざまな調理法で引き出し、組み合わせている。奥のケーキのようなものは、一度蒸したぽろたんをシナモンやローズマリーとともに砂糖窯にして焼いたもの。ゲストの前で豪快に窯を割り、料理長自らがサービスしてくれる。

杉本 雄

1980年、千葉県出身。武蔵野調理師専門学校を卒業後、幼少から憧れていた帝国ホテル 東京に就職を希望するも料理人の空きがないと断られ、同ホテル内の【レインボーラウンジ】でアルバイトをしながら空きを待つ。1999年帝国ホテル 東京入社。2000年【レ セゾン】に配属。渡仏するため2004年に帝国ホテル 東京を退社し【ホテル・レクラン】へ。2006年には【ホテル・ドゥ・キャランテック】で働いた後、【ホテル・ル・ムーリス】(2007年からミシュラン三つ星)へ。2013年、同店の料理長となる。2014年にはミシュラン二つ星【レストラン レスペランス】の総料理長、2016年ミシュラン一つ星の【レストラン スクエア】総料理長に。2017年帝国ホテル 東京再入社。2019年、同社の東京料理長就任。

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