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  3. 「サエキ飯店」佐伯 悠太郎氏インタビュー
佐伯 悠太郎 氏佐伯 悠太郎 氏佐伯 悠太郎 氏
佐伯 悠太郎 氏佐伯 悠太郎 氏佐伯 悠太郎 氏

中華の枠を飛び出し、世界を旅して自分を見つけた料理人

【サエキ飯店】佐伯 悠太郎中華

2019年4月にオープンした【サエキ飯店】は、開店するやいなや予約困難となった人気店。しかし、オーナーシェフ佐伯悠太郎氏が自分で納得できる料理をつくるまでには、紆余曲折があった。一流店での修行を経て人気店のシェフになるも、自らの中にある“違和感”に気がつき、すべてをリセット。自分らしさが見つかったのは、世界の旅先での経験を通してだった。まだまだ進化中、その破天荒な料理人人生に迫った。

Interview

香港のエネルギーに魅了された修業時代

『蝦醤(シャージャン)の手羽先から揚げ』塩水につけて発酵させた海老ペーストのソースに鶏手羽を一晩つけて、からっと揚げた一品

──今年の4月にオープンされて、もう予約が取れない人気店になってますね。

ありがたいことです。サエキ飯店は「僕の家にきておいしいもの食べていってよ」という気持ちでやっている店。そこに、お客さんがついてくれているのが嬉しいですね。

──オープンして半年だけれど、10月はまた2週間以上旅に出ると伺いました。今度はどこに行くのですか?

香港とネパールに1週間ずつ行ってきます。以前香港で働いていたときに、仕事が終わってよく通っていたのが「ダーラン」という潮州料理の店で、これがうまかったんですよね。本場の潮州料理とは違う、香港で独自に進化した、いい感じにカジュアルな潮州料理なんですよ。凍魚(トンユイ)のような昔ながらの素朴な料理や、海鮮をうまく使ったものが印象的だった。今回はそこで海鮮の使い方などを勉強したいと思っています。ネパールは本当にただの旅。面白そうだなって思っていたので行くだけです(笑)

──海外には引き続き行く予定ですか?【サエキ飯店】オープン前も世界中を旅していたと聞きました。

これからは、半年に一回は2週間程度お休みをいただいて、どこかに出かけようと思っています。別に海外じゃなくてもいいんですよ。国内でも、海外でも行きたいところに行く。自分の興味があることを、きちんと自分の目で見てみたい。興味があるところに、興味があるうちに行きたいんです。旅って大変、というイメージがあるかもしれないけれど、今すぐにも行きたければチケットとってすぐにいける。南米だってまる一日かかるって言うけれど、たった一日で到着するんです。逆を返せば、一日あれば行けちゃう。

今、僕は「中国の古典の本をひも解いて、文献にある料理を今の時代に合わせてつくる」ということにはまったく興味がない。自分が見て、食べて、現地で勉強したものを咀嚼して体に取り入れて、自分の中にできた引き出しから、何も考えずに自然に料理をつくっていきたい。そういう意味では、サエキ飯店のこと、「中国料理」ってカテゴライズするのすら抵抗がある自分がいます。

カウンターは、手際よく料理が仕上がる臨場感を楽しめる特等席

──そうやって、時間を見つけて“現地での空気感を感じて料理をする”ということに重きをおくようになったのは、いつからですか?

うーん、【聘珍楼】で働いていたときに、香港に初めていって現地の空気感に圧倒されたことがきっかけでしょうか。

──【聘珍樓】は佐伯さんが上京して初めて修業したお店ですね。

はい。東京の新宿三井ビル【聘珍樓】にご縁をいただき調理場で働かせていただきました。3年くらいしたところで香港に行く機会があって。そこで香港のパワーに圧倒されて、その魅力に取りつかれてしまったんです。香港の空気に触れた瞬間にここで働きたいと思った。どうやったら香港で働けるのかと死ぬほど考えた。そこから“日本の広東料理”に興味がなくなってしまったんです。

──当時、香港で外国人が料理人として働くのはとても大変で難しいと聞きました。

思いは止められず、店を辞めて24歳のときに100万円貯めて香港に向かったんです。人のツテを伝ってキッチンに入らせてもらって2か月くらい香港で生活をした。けれど、まず言葉の壁にぶち当たり、生活ができず、根拠のない自信がぼろぼろに打ち砕かれた。出直して、30歳までにもう一度リベンジすると誓いました。それにはまずは言葉を覚えて、情報を得て、知り合いも増やす必要がある。そう思って【福臨門酒家大阪店】【赤坂璃宮銀座店】など、一流店で働きながら、いろいろ勉強する機会をつくりました。このころは、中国の古典のレシピなんかもひも解いて熱心に勉強しました。もっと働きたい、寝てられない、もっとなにかできるのではないか、と狂ったようにいろんなことを吸収していましたね。

香港で学んださまざまな調味料、乾物、スパイスなどが調理にも生かされている

──そうして、30歳手前の29歳で再度中国・香港へ渡ったんですね。

まずは中国の広東省に入り、広東語を勉強しながら山奥のアパートに3か月住んで、【聘珍樓】の謝さんに教えてもらった店で働きました。その後、香港で銅鑼湾の【聘珍樓】、湾仔【家全七福(旧福臨門酒家)】旺角の子豚の焼き物で有名な店ほか、各地の厨房に入りました。お世話になった店の方に紹介していただきながら1年働いて、その後広東省21市すべてのエリアを回って日本に戻りました。

シェフとなり、夢を叶えた先に現れた“違和感”

──有言実行。夢を叶え、各地の厨房で働いたのがすごいです。日本に戻ってきてすぐに当時人気店の青山【楽記】のシェフに就任された。自信をつけて帰ってきて、シェフとして店を任される。まさに順風満帆な人生ですね。

いや、順風満帆、というか転機となったといったほうがいいかもしれません。自分にとって初めてのシェフのポジションでした。メニューの決定権はすべて自分にある。現地で経験を積んだ今、“香港の味そのもの”の料理を出してお客さんに楽しんでもらうことは、自分がやりたい理想の店のカタチでした。けれど、いざ、やってみると“違和感”を感じてしまったんです。

──違和感? 具体的にどんなことですか?

やっているうちに、日本で香港の味をそのままもってくる不自然さを日に日に感じてしまったんです。そもそも野菜一つとっても味が全然違う。食材も違うところで、どう現地の風を吹かせていけばいいんだろう。あんなにやりたいことだったのに、また壁にぶつかってしまった。今まで上がいる立場で押さえつけられていたときには、“あんなことや、こんなことをやりたい”と熱望していたのに、いざ、自分で全部やれ、となったときに自分の引き出しの無さをひしひしと感じた。

それはテクニック、ということではなくて、“もっと大きなこと”が自分には足りないんじゃないかと感じ始めた。広東料理をつきつめた十数年間だけれど、もしかしたら人としてもっと学ぶべきことがあるのかもしれない。リセットして、自分を見つめなおしたくなったんです。だから、1年勤めて、また海外に出ました。

「すっぽんの煮物」ごろごろと食べ応えのあるすっぽんは九州の球磨川からあがる3キロ以上の大物

──今度はどこに行かれたんですか?

とりあえず、点心を学んだことがなかったので、香港の老舗で3か月働かせてもらいました。その次を決めていなくてどうしようかと思っていたときに、当時泊まっていた安宿の重慶大厦で「アルゼンチンの牛肉がおいしい」という内容の番組が流れていたんです。「へぇ」と思っていたら、たまたま食堂で話した外国人がアルゼンチン人だった。で、「次も決まってないし、アルゼンチンに行ってみよう」と思い立って、そのままチケットを買ってアルゼンチンに飛びました。

──アルゼンチン!? また今までとは全然違う発想ですね。

そうです。今回は料理人として料理を学ぼう、という視点ではなくて、自然と自分が興味をもったことをやりたかった。すべてリセットして、料理から離れてもいいから、ただただ楽しもうと思った。アルゼンチンから入って、肉食べて。せっかくアルゼンチンに来たんだから、ウユニ塩湖に行きたいと思い、チリに入ってサンチアゴからボリビアまで、夜行バスで一気に行った。ところが、砂漠で高山病にかかってウユニ塩湖を楽しむどころではなくなってしまった。広東料理しかやってこなかったから、標高の高いところに行ったら高山病になるとか、そういう常識をまったく知らなかったんです(笑)。その後ペルーに行って、メキシコ、キューバ、サンセバスチャンなどのヨーロッパに入り、東南アジア、オーストラリア、インドに行ったかな。

──すごい。もはや世界一周ですね。旅を通してどんな発見がありましたか?

広東料理のことしか学んでこなかった自分には、すべて新鮮で新しい発見でした。たとえば、高山病で苦しんでいたラパスで食べた日本料理のおいしさ。やっぱり具合の悪いときに異国で食べる日本食って、体に染み入るんですね。それから、ペルーのリマ【セントラル】で食べたモダンペルー料理。旅に出るまで「世界のベストレストラン50」という格付けのことをまったく知らなかったのですが、せっかく現地にいるんだからおいしいもの食べたいと訪れました。サンセバスチャンの食のレベルにも感動しました。

この日のコースの〆は『黄ニラの上湯麺』。シンプルな上湯の旨みがからむ香港麺は、いくらでも入るおいしさ

──中国料理以外のところで、いろんな発見や感動があったんですね。そして、帰国し自身のお店のオープン準備をされた。

いや、実はまだ続きがあって、ミャンマーのあと、実は香港の郊外にあるオーガニック野菜の農家さんで働きました。「WWOOF」という労働を対価に寝食を提供してくれる制度があるので、それを利用したんですね。もともと中国の野菜のおいしさに興味がありましたし、どういうタイミングが野菜のおいしさのピークなのか、そういった見極めも学びたくて。

農家の方が近くの小屋を提供してくれたのですが、皆、作業が終わると町の自宅に帰ってしまう。夜は自分と犬二匹、猫二匹以外誰もいなくて、ネットでいろんな情報を探して次を考えていました。そのときに、「アジアのベストレストラン50」で日本最高位となった【傳】の長谷川在祐さんのことを知りました。いままでの飲食店にはない「人を楽しませる力」について発信していることにすごく興味を覚えたし、共感した。こんなすごい料理人が日本にいるんだ、と感動した。だから日本に帰って働かせてほしい、と山奥からメッセージしていました。

──自分の店を持つ前に日本料理というジャンルの違う【傳】で働いた、というのも面白い経験ですね。

世界中を旅して「帰国後は自分の店を持つ」、という目標がだんだん明確になってきました。その前に【傳】で約1年間働くことが叶いました。日本の食材の扱い方、というのももちろん勉強になりましたが、それ以上に、店全体として感じるエネルギーのすごさに圧倒されました。ゲストにどう楽しんでもらうか、を真剣に考えるチーム全体の意識の高さに衝撃を受けたんです。ただおいしいものをつくるだけではない、そうした考え方は今の自分がとても影響を受けたことの一つです。

カウンターとテーブルが1席のこぢんまりとした店内

世界を巡ったからこそ、わかったこと

──中国料理の世界からいったん離れて体験した、旅先での偶然の出会いや経験を経て、最終的に“何が自分らしい店”なのかというのが少しずつ見えてきたんですね。

そうですね。日本に戻って感じたのは、自分の中から自然に湧き上がる“おいしい”という思いや、“楽しい”という思いを料理でそのまま伝えたいということ。自分がお客さんを楽しませられるとしたら、それしかないと確信しました。

それが本格的な広東料理である必要はないんです。自分が“おいしそうだ”と思った食材を見て、“こうしたらぜったいうまい!”と思った気持ちをそのままダイレクトに調理するのが【サエキ飯店】の料理です。お客さんが僕の料理を食べて、「香港そのものの味がする」と感じてくれるのなら、それはとてもうれしい。けれど、「香港の風を感じるように料理をする」のとは違うと思っています。

──「ジョージアワイン」の品ぞろえの豊富さも、佐伯さんの偏愛が垣間見られますね。

「ジョージアワイン」は、もともと好きだったわけではないんです。ワインバーで飲んだワインがめちゃくちゃおいしくて、翌朝目覚めたときに、もう一度その写真を見返すくらい記憶に残った。それで気になっちゃって、ジョージアまで行ってみたくなってしまったんです。で、行ったら、さらにはまった。3日に1本は飲むようになって、気が付いたら一人で40本近く空けていた(笑)。だから、これも“自分がおいしいと思うもの”を単純に店に置いて、みんなにも共感してもらえたらいいなと思って、置いているだけなんです。

──やっぱり、気になったら現地まで足を運んでしまうんですね(笑)。これからチャレンジしたいことはありますか?

今、34歳なんですけれど、40歳までに昔ながらの香港らしい店を日本に作りたい。朝は飲茶、昼はぶっかけ飯的なものがって、夜は水槽から選んだ魚でつくる宴会料理が楽しめるような店。自分から見て、香港のレストランの良さを表現できるような面白い店をつくりたいですね。きれい過ぎず、ごちゃっとしているけど、質は高くて。いろんなお客さんが流動的に訪れてくれる。今までの経験を生かして、そういう店をやってみたい。

店にストックされているジョージアワイン・コレクションの一部。1本5,500円~。相談すれば、料理にあわせて佐伯さんがグラスで提案してくれる

──今までの“実行力”と“実現力”を考えると、その夢もきっと叶いますね。私もそんな店ができたら通いたいです。

僕は5年ごとにぼんやりとした目標をたてて、そこに向かって今まで進んできました。今の店をやりながら、店に来てくれるいろんな人に刺激をうけて、先を見据えながらいろいろ考えるのは楽しいですね。

撮影/今清水 隆宏 取材・文/山路 美佐(ヒトサラ編集部) 2019.8.27取材

シェフの裏ワザ

「自分の料理に欠かせないセイロは、大切な相棒」

「自分にとって一番使う大切な調理器具はセイロです」と佐伯さん。一人ですべて調理しなければならない今の店では、シャンタンスープ、魚の蒸し物など、入れておくだけで時間が料理をつくってくれる蒸し器は欠かせない。「今はコンベクションオーブンなど便利なものもありますが、自分の手でひとつずつ積み重ねてつくるほうが好き」とのこと。効率は気持ちが薄くなるような気がするのだとか。前菜から〆のごはんまで、【サエキ飯店】の味を支える頼もしい相棒だ。

佐伯 悠太郎

1985年生まれ。愛媛県出身。料理専門学校を卒業後、新宿三井ビル【聘珍樓】、【福臨門酒家大阪店】【赤坂璃宮】などでの修業を経て、中国・香港でワーキングホリデーの制度を活用し料理を学ぶ。帰国後【楽記】シェフ就任。退任後、1年間アルゼンチン、ペルー、ヨーロッパ、アジアなどをめぐり、帰国後【サエキ飯店】を開店。

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