“Chef+”という生き方。料理を軸に、全方位で挑戦を重ねる
国内外で活躍の幅を広げる米澤文雄氏
——2021年1月に「シェフのヨコガオ」でご登場いただいてから4年ほどが経ちましたが、その間で大きく変わったことはありますか?
2021年というとまだコロナ禍の真っただ中。その当時は【The Burn】で料理長を務めていましたが、退職して独立し、株式会社No Codeを立ち上げました。半年後に【No Code】をオープンし、その翌年には新丸ビルと虎ノ門ステーションタワーに新店舗を展開。現在は3店舗を経営しているため、当時とはだいぶ違う状況ですね。
【No Code】の店内へと続く、幻想的な照明が印象的な階段
——改めて【No Code】のコンセプトを教えてください。
No Codeというコンセプトを掲げ、規則や規律にとらわれず、新しい価値を創造することを目指しています。その思いから会社名もNo Codeにしました。お店においてもジャンルにこだわらず、良いもの・新しいもの・好きなものを取り入れていくスタイルです。
——一般的なシェフとは異なり、多彩な活動をされていますね。
それがいいか悪いかは人それぞれですが、僕は1つのことをずっとやり続けるシェフを尊敬しています。僕は好奇心旺盛で飽きっぽいため、興味のあることを次々と仕事に取り入れていくスタイルです。元々日本ではそういう働き方はあまり好まれませんでしたが、コロナ禍を経て仕事の多様化が進み、僕のような働き方も珍しくなくなってきました。基本的にはお店で料理を作ることがシェフの仕事ですが、そこに様々な挑戦を加えて「Chef+(シェフ プラス)」という肩書きを使っています。
——多彩な活動のきっかけは?
1番の影響は、ジャン・ジョルジュさんです。彼は多くのお店を手掛け、様々なイベントに参加し、多方面で活躍しています。僕は約10年彼を見てきて、自然と憧れの存在となりました。僕自身も好奇心が原動力で、興味があることにドライブをかけて仕事をするスタイルが合っています。【Jean-Georges Tokyo】で働いていた頃からそういう考え方でした。
シェフとの会話を楽しむことができる距離感が心地よい
——多くのレストランやプロジェクトに携わる中で、スタッフや関わる方々に伝えていることは?
まずは「感謝の心」です。多くのシェフがいる中で僕を選んでくれているので、その気持ちを忘れずに仕事しています。スタッフには「お客様目線」を常に持つことを伝えています。自分がお客様だったら何をされたら嬉しいか、どういう接客やサービスなら心地よいかを想像することが大切です。例えば水を出すタイミング、ドリンクの提供、会話の流れへの配慮、身だしなみなど、細かなことが積み重なってお客様の満足につながると考えています。
——今後コラボレーションしてみたい方や気になる人物はいますか?
既に多くの方と様々なことをしているので、特に個人名を挙げることは難しいですが、異業種ではファッション関係の方とコラボレーションしたいです。僕たちシェフもユニフォームや靴など道具を使うので、そういった分野で何か一緒に仕事ができたら面白いと思います。
【No Code】第2章のコンセプトは「メキシカン・フレンチ」
メキシコの屋台グルメをアレンジした『Sope とうもろこし、チーズ、チレ』
——【No Code】の新しいコンセプトである「メキシカンフレンチ」はどのように決まりましたか?
今後シェフを務める久松暉典が、メキシカンが好きだったからです。元々、僕がニューヨークで働いていた時に親交のあったジャスティン・バズダリッチというシェフがいるんですが、彼がプロデュースした一つ星のメキシカン【OXOMOCO(オショモコ)】が、2020年に日本に上陸したのがきっかけです。その店のシェフを暉典が務めました。その後、【No Code】でも僕が不在の時などにポップアップのようなスタイルで、メキシカンにフレンチやモダンな感覚をプラスした料理に挑戦し、営業することもありました。
——メキシコに実際に行かれたそうですね。
メキシコ行きは必須だと思い、まず個人的に訪れました。そこで得た経験がとても良くて、1ヶ月半〜2ヶ月後に暉典と一緒に再び現地を訪れました。現地では【OXOMOCO】を最初にプロデュースしてくれたメキシコ人のモダンな料理教室に参加したり、さらに現地の伝統的なおばちゃんが主催する料理教室も受講したり。書籍やYouTubeで得られる情報はあくまで作られたものですが、料理教室ではリアルな手法を体験できます。例えば、日本のフレンチでもブイヨンの取り方やフォアグラのテリーヌの調理法は多様ですが、現地で実際に作られているやり方こそ本物。この本物に触れることで料理をアップデートする重要な要素を得られました。SNSが発達しても味や香りは体験できませんし、実際に現地に行くことは非常に貴重な経験です。
和とメキシカンが融合したシグネチャー『Tostada マグロ、サルサマチャ、アボカド』
——メキシコには何日ほど滞在されたのですか?
6日間ほどでした。とにかく食べまくって、ちょっとお腹も壊して(笑)。
——6日間で特に印象に残った料理は?
星付きのレストランから屋台まで色々なレストランを訪れましたが、特に印象的だったのは、料理教室で食べた「エントマターダス」です。焦がしたトマトソースが使われていて、タコスの皮にチーズやハーブがちょっと乗っているシンプルな料理ですが、驚くほど美味しかったんです。高価な食材や難しい調理法をやればいいわけでもないのだと実感しました。
タコスの具材となるメキシコの定番料理「カルニタス」をテリーヌに
ストリートフードを再解釈した『Carnitas 純粋金華豚、発酵玉ねぎ、フェンネル』
——その料理は【No Code】で提供される予定は?
まだそこまでの境地には達していません。シンプルな料理を極めるには実力が必要で、今は新しいメニュー開発の段階です。スタッフと感覚を共有しながら進めていますが、いつかそういったシンプルで感動的な料理を出せるようになりたいですね。
周囲から「ありえない」と笑われる、サウジアラビアへの出店
サウジアラビアへの出店、さらに移住を決めた米澤氏
——続いて、計画を進めているサウジアラビアのレストランについてお聞かせください。現在、どこまで進んでいるのでしょうか?(※2025年6月取材時点)
サウジアラビアのビザ申請に必要な書類を準備しています。去年12月に制度が変わり、ビザ申請の前に取得しなければならない資格もクリアしました。現地のパートナーが公認の雇用契約書を準備中で、それが届き次第、日本で正式にビザ申請を行います。スムーズにいけば今年の夏終わりか秋には渡航できる見込みです。ただ、ビザの取得は予測が難しいため確約はできません。
——出店予定のエリアは?
ディプロマティック クオーターと呼ばれるリヤド(サウジアラビアの首都)の中心地にある開発エリアで、大使館やホテルが集中している地域です。実は物件の契約金も支払い、ウクライナのデザイナーにデザインを依頼し、工事開始間近でしたが、現地パートナーから場所の変更を提案されました。これから再度協議して決める予定です。
——お店のデザインや雰囲気はどのようなものになるのでしょうか?
わりとモダンなレストランのデザインがメインです。70席ほどの大きなダイニングと、西麻布での8席のカウンタースタイルのプリミティブな小さなレストランを併設する計画です。大きな店の個室ではなく、別の独立したレストランとして存在し、価格帯やサービス内容も全く異なるものを目指しています。
——料理の内容は?
イタリアンとフレンチのミックスを考えています。サウジアラビアはまだレストラン文化が発展途上で、現地のゲストに受け入れられる料理を慎重に見極めながらメニューを作りたいと思っています。その際、日本食の要素を強調するつもりはありません。和牛や海産物は使うかもしれませんが、醤油や味噌、ワサビといった日本独自の調味料を前面に出す予定はありません。
米澤氏が生み出す料理には、驚きと親しみが共存している
——海外出店に加えて、今回はご家族も伴っての移住とのことですが。
はい。娘が2人いて、これからの時代は英語が話せることが必須だと感じています。上の娘は高校1年生で、来月メルボルンへ留学しますが、多くの費用がかかるため、下の娘の留学費用のためにも、もう一度海外で仕事をしたいと思いました。最初は北米、特にニューヨークに戻ろうと考えましたが、経済状況などで難しく、マイアミやタイ、シンガポールなども候補にしました。そのような状況のところに、サウジアラビアの話が来たのがはじまりです。
——ご家族も一緒にリヤドへ下見に行かれたそうですね。
去年11月に娘と妻と一緒に5日間ほどリヤドへ行きました。レストランを開く場所や娘が通う学校、住むエリアの下見をして、家族の了承も得られたので、本格的に動き出そうと思いました。
——サウジアラビアへの出店、周囲のシェフたちの反応はいかがですか?
「サウジアラビア?」「ありえないでしょ?」と言われます。でも具体的にどこがダメなのか聞くと答えが返ってきません。単にイメージだけで否定されているだけで、調べれば可能性はたくさんあります。僕自身、今年45歳という年齢で、大きなチャレンジをするには良いタイミングだとも思っています。大人として仕事もできるし、経験もそれなりに積んできたし、まだまだこうエネルギーある働き方もできるし、若いとは言わないですけど、まだ若い子たちとも一緒に働ける。この年代にやっぱり大きなチャレンジをもう1回したいなって思っていたのも事実かもしれないですね。
サウジアラビアへ進出する意義、そして今後の展望とは?
米澤氏曰く「仕事と生活の境界線はない」
——現地で何を感じましたか?
2019年、コロナ直前に「サウジビジョン2030」という国家戦略が出されました。2030年までに石油依存を脱却し、観光立国を目指しています。都市開発に100兆円以上を投入し、世界中から人を呼び込み、ホテルやレストランなどの商業施設が多数建設される予定です。レストランの需要はこれから非常に高まります。実際に現地を訪れた際にも、サウジアラビアが今後大きく変わろうとしていることを感じ、非常に面白い国だと思いました。現地のパートナーともじっくり契約や家族の話を詰めながら、将来的に全力を注げる国かもしれないと確信しています。
——日本人シェフとして海外に出て挑戦する意義は?
正直なところ「意義」なんてわかりません。ただ、やりたいからやるという好奇心が原動力です。人生は一度きりなので、やりたいことをやればいいと思います。失敗しても日本に戻ってまた挑戦すればいい。それほど深刻には考えていません。まだ行けるかどうかもわかりませんし、オープンしても潰れるかもしれません。その可能性も含めて心のリスクヘッジはしています。振り切りすぎると失敗した時のショックが大きいので、最善の準備をしながらも心のどこかで「もしダメでも」と思っています。
今後どうなるかはわかりませんが、まずは自分が成功し、次に他の日本人シェフを紹介して現地で展開できればと考えています。成功者が増えれば、日本での厳しいマーケットにとどまらず、サウジアラビアと日本の両方で稼ぎ、表現できる場が広がる可能性があります。
西麻布にある【No Code】の外観。台北店はどのようなお店になるのだろうか
——今後の働き方、そして新たなプロジェクトなどもあれば教えてください。
現在のクライアントとの仕事は続けつつ、3~4ヶ月に1回は日本に戻って対応しますし、オンラインでのサポートも継続しています。並行して10~11月に台北で【No Code】の新店をオープンする予定で、僕の後輩がシェフとして現地へ。僕はメニュー開発やコンセプト設計を担当し、台湾のパートナーと協力しています。台湾は世界で2番目にヴィーガン人口が多い国なので、ヴィーガンと非ヴィーガンの双方に対応したメニューを提案し、メインは肉料理で、約35%はヴィーガン料理を提供する予定です。
——サウジアラビアと台北の開業が重なるのでは?という多忙さ。その原動力は?
“好奇心ドライブ”に尽きますね。仕事という感覚もあまりなく、生活の一部のようなものです。もちろん向き不向きはありますが、僕は楽しくやっています。
撮影 / 佐藤 顕子 取材・文 / 外川 ゆい 2025.6.9