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  3. 「レミニセンス」葛原将季氏インタビュー
葛原将季 氏 葛原将季 氏 葛原将季 氏
葛原将季 氏 葛原将季 氏 葛原将季 氏

東西の名店の遺伝子を継ぐ
名古屋イノベーティブの新鋭

【reminiscence(レミニセンス)】 葛原 将季 フレンチ

【カンテサンス】、【HAJIME】という東西の名店で研鑽を積み、名古屋で独立した【レミニセンス】の葛原シェフ。「余韻と記憶」というストーリー性に込めた意味とは? 彼が見る未来とは?着々と評価を高め30代前半の新鋭・葛原シェフのヨコガオに迫りました。

Interview

30歳で独立するためには、いま何をやればいいか。
そのプランを立て、修業時代を過ごしました

――30歳には独立したいと考えていたそうですね。

 そうですね。20代前半の頃にはもう、僕はこういうお店をやるということを決めていました。5年後の自分、10年後の自分はどうなっているべきか、そのために、自分はいま何を勉強しなければいけないのか、どこで何を学ぶべきかという大枠を全部考えていった際に、区切りもいいので30歳で自分の店を持つプランは立てていました。実際、30歳の誕生日にオープンすることができました。
 例えば【カンテサンス】で仕事をさせてもらいましたが、ただ単にいればいいっていうわけではないですよね。自分は何を考えながら仕事をしたらいいのかを明確にした上で、日々を過ごすと全然違うと思うんですね。

――何をやるにして、そういったプランは立てるんですか。

 この仕事を始めてからではあるのですが、ビジネス本などを意識的に読んでいました。「仕事ができるようになるのはどうしたらいいか」みたいな本が好きで、そういうのに影響されやすいタイプなんです。その影響で、しっかり自分のプランを立てて過ごすようになったっていう感じですね。

――色々とインプットはされてるんですね。

 やっぱり、しなきゃいけないですよね。修業先で学んだものを、そのまんまやってもダメなんで。料理に対しても、20代前半の頃は、身近なもの、フランス料理ばっかり食べに行っていたんですけど、今は色んなジャンル見ながら自分の仕事にフィードバックできるようになってきました。月1回か2回か遠くに行くようにもしているのですが、そういった違う環境に身を置くことも刺激になっていますね。

「余韻と記憶」。僕にとっては、それが人生のすべてで、
料理にも込めたいと24歳のときに決めました

――「余韻と記憶」というテーマを掲げていますが、かなり早い時期に決めていたのですか。

 「余韻」っていうことテーマにしようと決めたのは、24歳の頃ですね。当時から、自分がやりたいお店のコンセプトって何かなってずっと考えてたんですけど、答えがなかなか見つからなかったんです。そのとき、岸田シェフのつくる料理でひとつ、ぱっと食べた時にとんでもない余韻が残る料理があったんですよ。「なんだこれ?」って驚きながらも、「あ、これだな」と腑に落ちる部分があって。その時に自分の人生のテーマを余韻にしようって思ったんですよ。

――修業先に【カンテサンス】と【HAJIME】を選んだことには、どんな考えがあったのですか。

【カンテサンス】で働くことになった時、僕はまだ23歳で、右も左もわからない料理人でした。ですが、一流になりたいという強い意志はあったんですね。当時、僕は【カンテサンス】が日本で一番、一流で美味しいと思っていたのでカンテサンスで働きたいと思いました。
【HAJIME】を選んだ理由も、まずは一流であること、それは【カンテサンス】と同じです。2店とも頂点を見ています。ですが、2人は全く見ているスタンスが違います。米田シェフは、岸田シェフとは全く違う観点で頂点を見ているところに惹かれました。

――お二人から学んだことで、現在に繋がっている影響はどんなことがありますか。

 岸田シェフに最も影響を受けた点は、徹底的に美味しさのレベルを上げるという点です。カンテサンスは毎日、毎日、少しずつ、少しずつ必ず美味しくなっています。岸田シェフの成長に対する姿勢、食材に対する姿勢には感銘を受けました。
 米田シェフから影響を受けたことは、レストランは食事をするだけの場所ではないということ。芸術という言葉では言い表せられない壮絶な世界観があります。わかる人にしかわからない世界観ですが圧倒的にすごい世界観があります。その世界観を味わえたことで、まだまだですが自分の世界観を創り、世の中に発信していきたいという強い意志が芽生えました。

飲食業界の社会的な地位を、もっともっと上げていきたい

――オープンして、1年が経ちました。

 名古屋でやることを決めたからには、ここの飲食のシーンを変えてやろう!くらいの気持ちはあるんです。独立する際に相談したほとんどの人が、名古屋で料金を一万円以上に設定するとすぐに潰れると教えてくれました。でも、自分のやってきた道からすれば、コスパ追及の店をやってしまっては意味がありません。価格を下げる→いい食材や人材が使えなくなる→お客様が来ない→価格を下げる……この繰り返しではレストラン文化が発展していかないので、僕らがその負のスパイラルを止めて、もっともっと前進していかなくてはならないと捉えています。

――何か戦略のようなことは考えていらっしゃいましたか。

 まずは、当たり前ですがしっかり美味しいものをつくっていこう、と。もちろんそんなことはみんな考えているはずですが、人の何倍も考えるしかありません。そして、その美味しい料理をお客さまにしっかりとプレゼンテーションすることです。先ほども少し話しましたが、僕はお店のコンセプトを『余韻と記憶』にしています。僕にとっては余韻と記憶は人生そのものだと思っています。そのコンセプトに美味しい料理を乗せて発信していけば、他の店とは違う個性が表れ、お客さまに選んでいただけると確信していました。

――名古屋の象徴的な食材、鰻などもフィーチャーしています。

 鰻の消費量が多い地域ですので、東京や大阪より良い食材が手に入りやすいんです。あえて、【カンテサンス】や【HAJIME】では使わない食材で、自分の個性を磨いていきたいという面もあります。ただ、もっと武器あったほうがいいと思うんですけど、そこは焦らずゆっくりやっていこうと考えていますね。変な武器見つけて、それを振り回しちゃうと、結局痛い目みるはずなので。

――ご自身の強みは、何だと考えていますか。

 まだ若いということ。まだまだ飲食業界からしたら生まれたての子供のようなものです。お客様や同業者様にいろんなことを指導していただけます。失敗や挫折を繰り返しまだまだ成長できる伸び代が無限にあるというのは、若さの最大のメリットだと思います。
 名古屋の飲食業界をもっともっと盛り上げて、関東、関西に負けないくらいの水準に持っていけたらと思って日々仕事をしていますが、そんな強烈な個性のある料理人になるとともに、経営者としても後進の憧れになれる存在になりたいと強く思います。「【レミニセンス】で食事をしたことがきっかけで飲食業界に従事するきっかけになりました」なんて言われたいですね。飲食業界の社会的地位をもっともっと上げるために頑張ります。

撮影/河田 卓也 文/杉浦 裕

シェフの裏ワザ

【reminiscencee】流、鰻へのこだわり

【カンテサンス】、【HAJIME】という名店で修業したがゆえに、「自分の色をどう出すかには、非常に意識しています」という葛原シェフ。食材において、その一つの答えが、鰻でした。『ひつまぶし』などが良く知られるように、名古屋は鰻の消費量が多い地域なので、愛知県一色産を中心に、良い状態の食材が入手できます。「鰻の扱いを学ぶために、オープン前にひつまぶしの老舗【蓬莱軒】で研鑽を積み増した」とシェフ。スペシャリテとして、これを目当てに来店する客も増えているとか。

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