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川手 寛康 氏川手 寛康 氏川手 寛康 氏
川手 寛康 氏川手 寛康 氏川手 寛康 氏

温め続けた「ターブル・ドット」でもてなす、第3章が始動

【フロリレージュ】川手 寛康フランス料理

国内外から多くの注目が集まる料理人、川手寛康氏。2009年、南青山に誕生した【フロリレージュ】は、2015年に神宮前に移転。ミシュランでは二つ星とともにグリーンスターを獲得。2023年版「アジアのベストレストラン50」では7位に輝き、シェフたちの投票に基づく「Inedit Damm Chefs’ Choice Award」を受賞した。そして、この度2度目の移転の運びに。その舞台となるのは、2023年秋に開業を迎える話題のスポットである麻布台ヒルズ。「詩華集」を意味する店名と、料理人を志した時以来抱き続けている思いはそのままに、「ターブル・ドット」と「プラントベース」という二つのコンセプトを掲げて新たな幕を開けた。川手氏が進化し続ける、その原動力に迫る。

Interview

24歳の時に感銘を受けた「ターブル・ドット」をついに実現

46歳となった現在、自分自身とギャップのない店づくりや新たな挑戦を掲げ、【フロリレージュ】の移転を決意した川手氏。

――話題を集めている麻布台ヒルズ。こちらに移転した経緯をお聞かせください。

突然思い立って移転したわけではないのです。神宮前の旧店舗を7年半ほど営業していましたが、その中で少しずつ少しずつ、年齢とともに自分のやりたいこともでき、自分自身の食の嗜好も変わってきました。そういったところで、自分がいまつくるべき料理と店舗に少しずつギャップを感じ始めまして。そこを修正する意味でも、新しいチャレンジという意味でも、3~4年前から少しずつ移転準備をしてきました。

――新しい店舗のコンセプトを教えてください。

分かりやすいコンセプトは二つあります。一つ目は、いままでカウンターだけのお店だったのですが、「ターブル・ドット」という一つの大きいテーブルをみんなで囲むお店になりました。これは、長年僕が「いつかやってみたい」と思っていたお店のスタイルです。

――「ターブル・ドット」は、いつ頃から温めていたのですか?

実はもう10年程前から考えていました。もともと神宮前の店舗でも「ターブル・ドット」をやろうと思っていたんです。でも、建物によって条件がいろいろとあるので難しく、カウンタースタイルを採用しました。こちらの麻布台ヒルズでは、16メートルのひと続きのテーブルを入れることができ、念願の「ターブル・ドット」が実現しました。

シェフの自宅に招かれたような心地よい店内。16メートルのひと続きのテーブルは、一体感が生まれる。

――これまでご自身が経験された印象的な「ターブル・ドット」はありますか?

フランスですね。24歳の頃、たまたまガラディナーに参加させてもらったのですが、20メートルもある長いテーブルに白いクロスが敷かれ、花が飾られ、カトラリーがズラリと美しく並び、それをみんなで取り囲むスタイルだったんですね。その時に、こんなにすごいものがあるんだっていうのを思い知らされた記憶があります。

――昔からずっと憧れてらしたのですね。

そうですね。でも、当時はグランメゾン的なものへの憧れでしたが、時代とともに変化しました。「ターブル・ドット」の本質は、一つの空間、一つの時間、一つのテーブルをみんなで囲んで、共通の意識を持ちながら食に向かう。そして、楽しむ。そういった本質を大切にした上で、今回の「ターブル・ドット」にこだわりを持って取り組んでいます。

――新店舗は、テーブルの中心にフラットなキッチン、その斜め向かいにはバーステーションがありますね。

本当はもっとランダムにつくれればつくりたかったんですよ。でも、これが日本のルール上、限界でした。本当はお客様の隣でつくりたいくらいですが……。でも、実際に僕とお客様との距離って、席によりますがわずか数10センチくらい。お客様とコミュニケーションを図るというよりは、空気を密に共有するっていうことが僕は重要だったんです。

東京で“エゴのある料理”を、“当たり前の食材”でつくること

手前は、多彩な調理法のカボチャを重ねた一品。奥は、さつま芋のアイスキャンディー。アミューズとして提供される。

――もう一つのコンセプトを教えてください。

「プラントベース」(=動物性原材料ではなく、植物由来の原材料を使用した食品のこと)になるべく時間をかけながら移行していくことです。いままでは肉中心のお店だったのですが、徐々に自分の好みやつくりたいものに変化が生まれました。料理人として、個人的にもですが、野菜への興味が大きくなってきたので、チャレンジという意味で「プラントベース」に変えたという感じですね。自分が、東京の中心部で野菜を使った料理をやる。しかもサステナブルっていうものに興味を持ちながら経営しています。

いまの日本だけでなく世界のトレンドとして、地方のレストランは特別な空間、特別な場所、そして特別な食材で特別な料理を提供しているように感じます。でも僕は、東京生まれで、東京で料理をつくって、修業先も(海外にも行っていますが)ほぼ東京。なので、いまのトレンドを追いかけるような料理をつくることは、僕には正直意味がないんですよね。

むしろ、さつま芋だったり、舞茸だったり、カボチャだったり。そういう皆さんがいつでも手に入れられるような食材を、いかに自分のフィルターを通して、いい言葉ではないのかもしれないのですが、“エゴのある料理”、僕がいなければつくることができない料理、それを東京でつくるということが僕はすごく重要なんじゃないかと。皆さんが知っている食材をいかに新しい世界観に持っていくかということが、今回のすごく難しいけど、すごく意味があり、チャレンジのしがいがあるコンセプト「プラントベース」に繋がっているんじゃないかな、と思います。

シェフサイドの席に座ると、このようなアングルで調理風景を楽しむことができるのも「ターブル・ドット」ならでは。

――サステナブルを大切にすることで生まれる悩みはありますか?

ギャップですね。自分が社会人として「サステナブル」というものに興味を持ち、料理人として何ができるかを考える時に、目の前にあるおいしいものだけを追求できなくなります。黒マグロを使うべきなのか、サシの入った牛肉にこだわるべきなのか、輸入商品を取っちゃいけないのか。でもそれって答えがあるわけじゃないんですよ。料理人の考え方一つ、納得できるかできないかの問題。それが自分の中で踏ん切りがついたりとか、自分が納得できたりして次のステージに進めるまで苦しい時期ってあるんです。

でも「プラントベース」を選んだいまはもう、そこに関しての苦しみは全くありません。いまは野菜についての知識があまりにも不足していることが悩みです。でもそれは、自分の経験や勉強、人との話で埋めていけますし、楽しみの方が上回っていますね。

――今回、コックコートが黒から白に変わりました。そこには何か思いがありますか?

そうですね。ここ1~2年で料理をつくる上でクリーンな印象の白がかっこいいと思うようになりました。それに、サステナブルを推奨している料理人として、なるべくコットンを選んだり、白いものをチョイスしたりするのって自然なことなのかも。黒って真逆にあって、染料が必要だったり、そのために地下水を使ったり……。黒い服が悪いわけではないのですが、白の方が、いま自分がやりたいこととフィットしているように感じます。

時代とともに変化する「おいしい」の意味

根セロリを17層重ねてミルフィーユ状にし、昆布オイルをアクセントに。季節によってはトリュフを添えることも。

――今回は、料理人人生において第3章とのこと。これまでの流れや思いを話していただけますでしょうか。

最初に出したお店は、いまとなってはちょっと恥ずかしいところもあるんですけど、ほぼフランス産の輸入商品を使っていました。その時はそれが最善だと思ってやっていましたし、コンセプトとして“ネオクラシックなフランス料理店”を目指していましたから。当時はまだイノベーティブという言葉もなかったですし。

2店舗目になると、ほとんど輸入商品は使わなくなりました。カウンタースタイルに変えて、よりお客様たちと密接な関係、さらに自分たちのバックグラウンドまで見せていくようなスタイルを取るようになりました。そこが大きな転換期になったのかなと。

そして、その流れからさらに進化させ、野菜にフィットさせ、一つの空間・一つのテーブルをみんなで取り囲むという、さらにディープな世界を表現するために、第3章を用意しました。

――レストランが移転して変わる中で、ご自身の働き方や料理人としての在り方はどう変化しましたか?

基本、ずっと悩んでいます。第1章の時も、第2章の時も、第3章の時も、料理人として悩み、料理人としてお客様に笑顔になってもらえる、幸せを感じているという大前提は変わらないと思います。

ただ、時代とともに料理の“おいしさ”という言葉自体がすごく複雑になってきているように感じます。

昔、僕が料理人になった頃、“おいしい”っていう言葉は、ただただ、目の前にある料理が美しくておいしければ、おいしかったはずなんです。でも、いまは美しくておいしければおいしいが、おいしいじゃなくなっていて。そのバックグラウンドまで見られ、そのシェフのフィロソフィーまで重要になってきています。そういった部分を全部ひっくるめないと“おいしい”には繋がらない。そして美しいにも繋がらない。

たった十数年の間に大きくおいしいという言葉の意味すら変わり、自分の中でより複雑な部分まで悩み、料理と向き合っていかなければならなくなりました。その一方で、やっぱり料理人としては、ただひたすらおいしいものを求めていきたい、という気持ちもあります。でも、それだけでは“おいしい”に繋がらない。お客様たちが望んでいるものと自分とのギャップ。むしろ、世界が求めているものと自分とのギャップなんだと思います。

和のマティーニをイメージしたというカクテルは、自家製の梅酒をベースに、昆布や鰹、お酢などを使用。最初の一杯にぜひ。

――これからの料理人人生をどのように歩んでいかれたいのか教えてください。

いつもそうなんですけど、あんまり未来のことを考えるような器用なタイプの料理人ではないのかな。目の前にあるものに必死にくらいつき、必死に新しいものを生み出し、必死に自分で楽しさを見つけていく。

僕が思う料理人としての幸せって、相手ありき。相手が幸せになれないものはやっていても仕方がないし、そこに自分の人生を費やす必要性もない。という考え方は、シェフになってからというより、料理人を目指した時からずっと変わっていません。

――移転に際し、店名を変えるという発想は無かったですか?

無かったです。そもそも【フロリレージュ】は、いろいろな美しい詩文を集めた書物「詞華集」という意味。レストランも同じなんじゃないかなって思っていて、一人ではつくり上げることができない。料理人、サービススタッフ、生産者、そしてお客様、そういう人たちの気持ちが折り重なってレストランってできてるんじゃないかな。それが僕が目指しているレストランであり、店名の由来。きっと10年、15年前にインタビューされても同じことを言っていたと思います。そこは大きく変えない。変える必要性がない部分だと思っています。

――改めて、お店に来てくださるお客様に、どう楽しんでいただきたいですか?

お客様によって、食事をする時の幸せっていろいろなんですよね。おいしいものだけ食べられれば幸せっていうお客様もいらっしゃいますし、僕のバックグラウンドが好きで食べに来てくれるお客様もいらっしゃる。僕に会うためじゃなくてうちのスタッフに会うためだったり、みんなと顔を合わせて食事をすることが幸せってお客様も。

ごまんとあるレストランの中で、僕のレストランにしかできない幸せの形っていうのは、僕はあるんじゃないかなと思っています。具体的にそれが何かっていうのは、お客様が選ぶことだと思うので、より僕のお店でしかつくり出すことができない幸せを突き詰めて、やっていければなと思っています。

――突き詰めたスタイルが、今回の家に招かれたような「ターブル・ドット」ということでしょうか?

そう感じ取っていただけたらいいなとは思っています。やっぱりお客様が求めていることは本当にみんな違うので。その中で僕が提案できることをしながら、少しでも多くの人に楽しんで幸せになっていただける空間と料理をつくることが使命だと思っています。

撮影 / 今井 裕治 取材・文 / 外川 ゆい 2023.9.12

味わいたい至極の逸品

『きのこ』

舞茸、松茸、昆布、セミドライのトマトを重ねるようにセルクルに差し込み、バターやオリーブオイルでじっくりと火入れ。そこに椎茸から取った滋味あふれるスープをかける。お椀に盛られ、日本料理のような繊細さを感じながらも、しっかりとフランス料理として存在する一品。添えられたパイの中には、きのこの石づきが入っている。これまではまかないに使用していたような部位も手を掛けることでゲストをもてなす料理となる。「特別ではない日常の食材を仕立てるため、非常に手数や仕込みの時間が増えました。しかし、当たり前の食材だからこそ、自分らしさを表現することができます」

川手 寛康

1978年生まれ、東京都出身。【オオハラ エ シイアイイー】や【ル ブルギニオン】で腕を磨いた後、渡仏。帰国後、【カンテサンス】スーシェフを経て、2009年【フロリレージュ】を開業。2018年には台湾に姉妹店【logy】をオープン。サステナブルな活動にも精力的で、ミシュランでは2つ星と共にグリーンスターを獲得。「アジアのベストレストラン 50」でも上位にランクインし、世界から注目を集める。2023年秋、麻布台ヒルズに移転。
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川手シェフ初プロデュースのプレミアスイーツブランド。 初商品の『幸せの焦がしバターサンド』は、 1℃単位のこだわりをもって、半年以上試作を重ねた焦がしバターが特徴。 口に入れた瞬間にとろけだし、今までにない感動が話題に。 2023年5月に発売以来、瞬く間に完売し生産体制強化まで 数ケ月待ちが続くなど、累計数千箱を販売する人気スイーツ。

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