甘々と稲妻

誰かを想って作った料理は、きっと自身の成長の糧になる

作品データ/『甘々と稲妻』 作者:雨隠ギド 『good!アフタヌーン』連載中、既刊7巻(2016年8月現在)

亡くなった母の手料理を渇望する娘のため…父、奮闘!

 精一杯がんばっているつもりでも、結果が付いてこないなんてことは往々にしてあるもの。

 しかも、それで大事な人を我慢させていると知ったら…。

『甘々と稲妻』の主人公である犬塚公平は娘のつむぎと二人暮らし。高校の数学教師を務めながらも、家事をこなす毎日でした。妻を病気で亡くすまで公平は料理などほとんど作ったことがなく、つむぎの幼稚園でのお弁当は冷凍食品が中心で夕飯はお弁当が基本。

 そんなある日、公平が家に帰ってくると、テレビの通販番組にかぶりつきで見ているつむぎの姿が…。通販番組では調理器具の紹介がされていて、その商品を使った調理シーンにつむぎは釘付け。そして公平に向かってこんなことを言い出しました。

「ママにこれつくってっておてがみして」

 公平はその瞬間、つむぎが暖かい手作りの食事に飢えていたということに気がつきます。それも、もう食べることができない母親の手料理に。

 もちろん、公平も忙しい生活の中でつむぎのためにがんばっていました。平日は早起きしてつむぎのお弁当を作り、幼稚園の送迎、休みの日には溜まっていた洗濯や掃除をして、つむぎと散歩に。並大抵の父親ができることではありません。つむぎのことを想っているからこそできることです。

 しかし、それでもつむぎは母親の手料理に飢えている。もう絶対に作れない、作ることができないものを…。

 途方に暮れた公平がとった手段、それは飲食店「ごはんやさん 恵」の娘であり自身の高校の生徒でもある飯田小鳥に電話し、必死に「娘においしいものを食べさせてやりたいんです」と頼み込むこと。

 それから、公平と小鳥は一緒に料理をするようになります。

 もちろん飯田小鳥が小鳥の母親と同じ味の料理を作れるわけではありませんが、その娘のためを想った公平の行動は、いい方向に転がっていくのです。

 料理初心者で味付けが特に下手な公平と、とある事情で包丁が持てないけれど料理研究家でもある母の味付けを覚えている小鳥はいいコンビに。もちろん、つむぎも一緒にお手伝いしながら…。

 公平は自分にはできないこと、娘であるつむぎにしてあげたいこと、そして自分にも何とかできることの狭間で必死に考えた結果、娘への想いを形にして表現できる方法を温かな手作り料理の中に見つけたのです。
      

「雨降って地固まる」ならぬ「ピーマン食べて絆深まる」

 料理は人が食べるもの。料理には作った人から食べる人への想いが込められており、ある種のコミュニケーションツールと言っても過言ではないものです。

 公平がつむぎのために料理を作り、それを親子で一緒に笑顔で食べる。それだけのはずなのに、そこには思い出も愛も一緒に生まれています。

 夕飯をお弁当で済ませていたときとは比べものにならないほど、娘のことが見れるようになった公平はあるとき、野菜が多く手に入ったため、野菜も食べさせたほうがいいとの考えからつむぎが苦手なピーマンを使ってピーマンの肉詰めを作ってしまいます。

 公平は自分で料理を作るようになって、心のどこかで自分がおいしいと思ったものをつむぎにも食べさせてあげたいと思っていたのです。

 もちろん、それが不正解なわけではないのですが…結果は大失敗。

 ピーマンを一口食べて、つむぎは泣き出してしまいました。そのことを小鳥に相談したところ、「おいしく作って食べてもらいましょう」と言われます。「今食べられなくても食卓に出さないんじゃなくてお父さんがこれを好きなんだーって食べてた方がつむぎちゃんも興味わくかもしれませんよ」と。

 そこで、公平と小鳥はつむぎのためにグラタンを作ることに。たくさんの野菜の中にピーマンも入れて、ベシャメルソースと一緒に焼き上げるグラタンならつむぎもきっと食べられるのではないかと考えたのです。

 結果、つむぎはピーマンを少しだけ食べられるようになりました。

 これも公平の父としての愛が、グラタンに、そしてピーマンにもたっぷりと注がれているからこそ、つむぎが食べられるようになったに違いありません。

 “料理は愛情”なんて言葉は聞き飽きたかもしれませんが、聞き飽きるほど言われているということは、これもまたひとつの真理。料理に愛情を込めようとするから、丁寧に、そして思いやりを持って、料理を作ろうとしますもんね。

 ちょっと疲れていそうだから疲労回復系のメニューにしようとか、暑い中動き回っていたみたいだからちょっとしょっぱめの味付けをしようとか、料理を作りながら食べる人を思いやることはいくらでもできるはずなのです。

 それでは、料理以外では?

 仕事にしても家事にしても誰かを想って行えば、きっとその誰かは気がつくはずです。そして、その仕事も家事も一段、グレードアップしているはずです。

 けれども、料理を作り始める前の公平のようにがむしゃらにがんばっていても、そのベクトルが間違いであるならば、結果はなかなか付いてきません。

 娘の顔をちゃんと見ながら料理を作り、一緒に食べるようになった公平のように“丁寧に、誰かを想って”、何事も行うことが、もしかしたら成長への近道なのかもしれませんね。
      

<文/牛嶋健(A4studio)>

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