溢れる里山の恵みを即興で料理に仕立てる女性料理人

大きな木の切り株が印象的なロビー。ベルギーから取り寄せたという薪ストーブの香りと温かさが心地よい

 東京駅から、上越新幹線に乗って1時間半。のんびりとした空気が流れる越後湯沢の駅に降り立ち、駅前のタクシーでさらに約20分。昔ながらの日本の風景が広がる田畑の中を走り、さらに山をどんどん上がっていくと、一軒の古民家が現れた。取材した時期は晩秋。どっしりとした家屋の玄関前には、大根がずらりと干されていて冬支度の真っ最中だった。

 ここ【里山十帖】は、国内はもちろん、海外からのゲストも多い人気の宿だ。古き良き日本を感じる風情ある古民家、タイプの違う心地よい部屋、とろりとした泉質が気持ちのいい絶景露天風呂。ゲストたちを魅了する要素はたくさんあるけれど、ここに集うゲストたちの大きな目的がここでしか食べられない、里山の恵みをふんだんに使った料理にある。

 腕を振るうのは女性の料理人、桑木野恵子さん。2018年4月から料理長として【里山十帖】のレストラン【早苗饗】の料理をすべてまかされている。その桑木野さんが、入り口で迎えてくれた柔和な笑顔の女性だとわかって驚いた。ほっそりとして柔らかな印象が、”料理長“というかしこまった肩書きのイメージと違ったからだ。

厨房スタッフは3人。自ら率先して手を動かし、スタッフをまとめて料理をつくりあげていく

「こちらへどうぞ」と早速案内されて厨房に入れてもらう。広々とした厨房には農家さんから届けられたばかりの野菜が並ぶ。仕込みにとりかかろうとする桑木野さんに、今日出すメニューは何を考えているのか聞こうとすると、間髪入れずに厨房の扉がひっきりなしに開き、次から次へといろんな人が現れた。

「こんにちは~ 野菜もってきたよ~」
「アスパラ菜いるかあ?」
「雪降る前に山に入ったから、きのこたくさん採ってきたよ。くりたけがたくさん採れたなあ」

 人が訪ねてくるたびに、仕込みの手を止める。持ってきてもらった野菜を愛おしそうに眺めながら、楽しそうに会話をする。

「これ、いいですね。今日はこれでスープにしようかな」
「このきのこ、どうやって食べるのが一番いいですか?」

 知らない野菜や素材も、生でかじり、話を聞き、面白い!と思ったものはどんどん置いていってもらう。持ち込まれている野菜のなかには、通常の店や市場では出回らない形が不ぞろいのもの、割れているもの、虫食いのものなども多い。けれど、「虫食っているほうがおいしいんですよ。割れた野菜だっておいしいんです」と笑いながら、在庫があきらかに過剰になるもの以外は、ほとんど買い取る。価格は農家さんの言い値。値引き交渉などは一切しない。【里山十帖】開業から4年の間ずっと、このレストランの食を支えてくれた生産者の方たちへの絶大なる信頼がそこにはあるからだ。

この日次々と届けられた野菜たち。農家の方が、“今トラックで来たから野菜見て”と声をかければすぐに外に出て確認する桑木野さん。きのこは、きのこ採り名人の“くまさん”から。とれたての大根やはっかなどのハーブは近くに行くだけで青々とした香りを漂わせる

エステティシャンからアーユルヴェーダ、そして料理人の道へ

 桑木野さんは、大学を卒業後、ハーブやスパイスへの興味をきっかけにアロマテラピーを学びエステティシャンの道に進んだという異色の経歴を持つ。その後アロマテラピーについてもっと深く学ぶためオーストラリアへ。そこでアーユルヴェーダに出合い、アーユルヴェーダの食べ物の考え方を掘り下げて学びたくなったそうだ。その後、スパイスについてもっと勉強したいとインド、ネパールに行き、スパイスの深い知識を持つ家族の元でさらに学び、ヴィ―ガン料理をはじめとした食と健康を考えた料理を教えるようになった。帰国後は吉祥寺のヴィーガン・レストランで料理を担当。ある日図書館で【里山十帖】の記事を見て、面白い宿があるなと思ったことから、スタッフ募集の情報を得て応募。とんとん拍子に話が決まり、2014年の開業から当時の料理長であった北崎裕さんとともに、【里山十帖】の料理に携わってきた。

 料理の方向性をつくるのは宿のオーナーでもある、雑誌『自遊人』編集長・岩佐十良さん。宿を“体験するメディア”としてとらえ、里山ならではの体験と発見こそが真のラグジュアリーというコンセプトを掲げた人物だ。

【里山十帖】オーナーの岩佐十良さん。最近は箱根、大津、松本と次々に新しいコンセプトの宿を開業

 開業当初から岩佐さんには「地方のレストランは、食材が採れる場所という意味で都市より食の現場に近い。そういう場所にいるのならば、都市のコピーペーストの料理ではなく、本来は一歩進んだ料理が出せるはず。地方にわざわざ足を運んで料理を食べにきてくれる、そんなモデルケースになるレストランにしたい」という思いがあった。レストラン名【早苗饗】とは、田植えに協力してくれた人々をもてなす饗応料理のこと。そこには地域の生産者への敬意や料理を味わいに来るゲストへの本当のおもてなしという意味が込められている。

 そうした場所で食べていただく料理はどういうものがふさわしいのか。桑木野さんは仕事をするなかで自分の実力のなさを痛感し、ミシュラン星付き店でもある京都の料亭で修行してきた北崎さんの下で日々料理の基礎を学び、休みになれば日本全国食べ歩きに出かけ、舌を鍛えて足りないものを必死に補った。そのなかで自分の感覚と引き出しをフルに回転させ、高い要求に必死にこたえていったという。

 ようやく人の波が切れたころ、今日のメニューは何をするか聞いてみた。

「まだ、わかりませんね。メニューはこの日届いた野菜を見ながら、ぎりぎりまで決まらないんです。ですから、メニューは炊き立ての白いご飯以外は毎日変わります。」

『野菜のコンソメ』を仕込む。入れるのは、野菜の外葉や皮などと水のみ。このあたりの地下水は雪解け水でとてもおいしく、だしもよく出るとのこと

 そう話しながら、今日届いた野菜の中から使うものをパッと決め、皮を剥いたり、外葉をはいだり、根を切ったりしながら仕込みをする。そうした葉屑を大きな鍋にどんどん放り込み、たっぷりの水を入れて弱火にかけた。これは、コースの最初に出す野菜だけでつくったコンソメスープになるという。

「日本の農村に来るまでずっと東京か海外にいたので、野菜の本当においしい旬に気がつくことなく過ごしてきました。ここに来て思うのですが、一つの農家さんから届く野菜の一番おいしいピークってだいたい3日~5日くらいしかないんです。そこを逃さず料理したい。本当においしい野菜って根も葉も皮も全部おいしい。だからそうしたものも無駄なく使いたくて野菜のコンソメをつくっています。毎日味が変わるんですよ」

里山の恵みを無駄にしない。生かし切る。その思いから生まれるここだけの料理

コースの序盤に登場する、晩秋のスペシャリテ『赤カブのスープ』

【早苗饗】の料理の主役は、里山の野菜。コースのなかに魚も肉もほんの少ししか出てこない。野菜が主のコースとはいえ、畑から収穫されたものはどんどん鮮度が落ちていってしまう。届けられたたくさんの野菜を無駄なく料理し、かつ限られた種類のなかでゲストを飽きさせず、満足させるように料理構成するのは相当な力量が問われる。

「たとえばこの地ならではの在来種など、ゲストに特に食べてもらいたい野菜などは標高の違う複数の農家さんから入れるなどして、なるべく安定的に長くメニューに載るように工夫します。使いきれない野菜や食材はオイル漬けにしたり、ピクルスにしたり、塩漬けに、あるいはウースターソースやヴィネガーやチヤツネなど様々な保存食にもします。もともとこの地は厳しい冬を越すための保存食文化や発酵文化がある場所ですし、そうして作ったものがいいアクセントや調味料になって私の料理になっているのかなと思います」

えのきだけと麹をあわせて作った自家製調味料

 この時期の【早苗饗】のスペシャリテだという在来種の赤カブの料理は、シンプルだけれど桑木野さんの素材への愛をしっかりと感じる一品だ。この日は山北地区の河面さんという農家さんが焼き畑でつくった赤カブが登場した。

 まず、その美しいヴィジュアルに見とれてしまう。

 雪が降る前に、たっぷり甘味とうまみをたくわえたカブをオーブンで焼いて味を凝縮させ、中身をくりぬき、塩と二番だしでスープにしたものに胡椒をぱらり。それを焼いたカブを器にして出す。土に見立てているのは、人参の葉を乾燥させてつくったクランブルだ。そのスープは赤カブの甘味、苦み、旨みのすべてをまるく優しく包み込み、体の芯に染みていく。時折入る、クランブルの食感が楽しい。

本日の即興料理のきのこの一皿。器もほとんど地元の作家さんのもの

 厨房に今日持ち込まれたきのこは、大根と登場。それぞれのきのこの食感を損なわないように太白ごま油とオレガノで別々に炒め、自家製のエノキ麹でみずみずしい大根と合わせている。エノキ麹の深みのある旨みがアクセントとなって、対局にある大根ときのこの食感をつなぐ。さまざまなきのこの香りが咀嚼するたびに口中にあふれ、それをオレガノがチャーミングにまとめる。

 コースの終盤に出てきた鹿肉の料理は、ビーツと栗と、酢漬けにしたフルーツなどを合わせる。鹿肉の濃い赤とビーツの鮮やかな赤がなんとも官能的だ。この食材の組み合わせは、森のなかで生きている鹿が食べているであろう食材と鹿肉の鮮やかな色から考えたという。

鹿肉とビーツの一皿。食材の組み合わせや色彩が独創的

 全10品前後のコースを食べ終え、料理のジャンルというくくりを飛び越えた里山の野菜のチカラ、そしてその様々な個性に魅了される。調理は驚くほどシンプルだけれど、桑木野さんのなかに積み上げられた経験が、地元の宝といえる野菜を生き生きとした個性的な一皿に変えていく。

【早苗饗】の料理は、昨日でも明日でもなく、今日の、そしてどこか別の場所では決して出会うことができない、この地を写した景色なのだ。

写真/工藤憲二 取材・文/山路美佐(ヒトサラ編集部)

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