宇治茶のキーワード①「覆下栽培」「自然仕立て」「手摘み」
「宇治茶についてもっと知って欲しいので他の農園さんや、製茶場などにもご案内していいですか」という北村さんのお誘いに、ぜひ、と車に乗り込んだ取材陣。まず向かったのは、伝統的な「本簾(ほんず)栽培」を現在でも行っているという茶農家・柴田製茶の畑だ。
取材陣が訪れた5月。宇治では茶畑がみな黒い布で覆われている「覆下(おおいした)栽培」という独特の風景が広がっていたのだが、これこそがまさに宇治ならではの茶畑の景色だという。
というのも、宇治は茶摘みの1ヶ月間ほど前に茶畑に覆いをする「覆下栽培」発祥の地。覆下栽培は実に15世紀前半から行われていた栽培方法で、4月に新芽が出たころにヨシズや黒布などで茶畑を覆い、日光を遮ることで茶葉の光合成を抑える農法のこと。そうするとでタンニンが少ない茶葉となり、渋みが少なく旨みの濃いお茶となるという。もともとは霜除け対策から編み出された方法だったが、こうすることで茶の味が良くなると広がった。千利休による「茶の湯」が大流行していた室町時代、この宇治独特の製法で作られた茶葉から生まれる抹茶は、独特の気品溢れるまろやかな味で時の将軍らを魅了したのだ。
「本簾栽培」というのは、この「覆下栽培」が始まった室町時代から続く、わらやヨシズを被せて育てる栽培方法のこと。寒冷紗(かんれいしゃ)と呼ばれる黒い布を使うことが多いなかで、数軒の農家だけが今もこの「本簾栽培」で育てているという。手間がかかるこの「本簾栽培」だが、被せる藁を微妙に調整することで日光への当て方を細かく調整できるメリットがある。そして雨がふったときに、この藁の層をつたって水が畑に落ち、その藁の香りがほんのり茶葉に移り、風味が変わるのだという。
また筆者が驚いたのは茶の木の形。茶畑といえば、膝上くらいの丸く狩られた茶の木が広い畑に整然と並ぶ姿を思い浮かべるが、ここの茶の木はみな人の背丈ほどある。聞けばこれは「自然仕立て」といい、手摘みが基本の宇治茶の特徴なのだそうだ。
「本簾栽培」の畑を見せてくれた柴田製茶の別の畑で、茶摘みが行われていると聞き訪れてみる。寒冷紗の下、自然仕立ての茶の木の前で20人近くが黙々と茶を摘んでいる。摘むのは新芽のみ。手元をみせてもらうと新芽の部分の枝を手で持ち、ぐっとしごくようにして摘んでいく。たしかに自然にのびのびと枝を伸ばし、育った木の新芽の部分を摘むには、機械では難しいだろう。 こうして収穫された余計な葉や枝が入らず、品質のいい茶葉のみを集めることができるため上質なものとなる。また、その後の製茶の過程でもより美しいお茶に仕立てることができるのだ。
宇治茶のキーワード②「浅蒸し」「揉み」
今や日本の食卓に欠かせない煎茶は、江戸時代の宇治田原町で誕生した。茶葉を蒸して揉み、乾かす現在の煎茶の原型は18世紀に宇治田原町の茶業家・永谷宗円が開発した「青製煎茶製法」として考案されたものだ。それまでの煎茶といえば加熱処理した茶葉を乾かし、お湯を入れた茶色いお茶が主流。ところが茶葉を一度蒸して揉み、乾燥することにより摘みたての茶葉の美しいグリーンが保たれ、香りも甘みも格段に上がった緑茶が誕生した。このおいしい緑の煎茶は瞬く間に人気となったのだ。
この、煎茶と玉露の製法の過程として重要なのが、“茶葉を蒸す”ことと“揉む”という作業だ。ちょうど北村さんの父・庄司さんが製茶の作業をしているとのことで、「山庄北村製茶場」のお茶の製茶をしている共同運営の工場を見せてもらうことにした。
工場に入ると、お茶が機械で蒸され、揉みの作業をしているところだった。「宇治では昔から浅蒸しが主流。だからお茶の色は、深い濃いグリーンというよりは黄金がかった緑やね。」と庄司さんが話すとおり、茶葉に蒸気を当てる時間はなんとたった15秒から20秒。この蒸す作業は茶葉の酵素の活性化を止め、緑茶固有の鮮やかな緑色を保つのに欠かせない工程だと説明してくれた。
もう一つ煎茶と玉露にかかせない工程が「揉み」だ。工場では、粗揉機、揉捻機、中揉機と温度や揉み方、時間を変えながら水分を均一に飛ばし、精揉機での揉みの最終工程まで持っていく。精揉機は下部に加熱装置がついており、茶葉を温めながら葉に重みを加えて、細く長いお茶の形に整え香りや色艶を出していく。混ぜるのは機械だが、状態をチェックするのは人間の目だ。
その昔は、この工程はすべて手作業。茶揉みをする台の下に石炭を仕込んで作業をしていたため、作業は汗だく、男衆が褌姿で作業をしていたそうだ。
ちなみに、覆下栽培で育てた茶葉を元に、上記のプロセスを経てつくられるお茶が玉露。お抹茶の原料となる碾茶は、蒸した後に乾燥させるのでこの「揉む」作業はしない。覆下栽培をせずに日光にあてた路地栽培の茶葉を、上記揉みのプロセスを経て製茶したものが、いわゆる煎茶として販売される。
宇治茶のキーワード③名茶人や将軍に頼りにされた「茶師」の存在
次に訪れた場所は「三星園上林三入(かんばやしさんにゅう)本店」。1階はお茶の販売や抹茶づくりの体験ができるお店、2階に宇治茶のことがよくわかる資料室がある。「どうぞどうぞ」と案内してくれたのは、こちらのご主人で、十六代目御物御茶師の上林三入さんだ。
「私は現在宇治で伝統を受け継ぐ茶師です。茶師という職業を知っていますか? 茶師とはいわば、高名な茶人のブレーン。良質な茶作りから、顧客の好みの茶をブレンドし、茶壺につめて納めるところまでを担当します。御茶師上林一族は、将軍家はじめ千利休にも茶を納めていました。利休の茶が秀吉をはじめ、大名たちに好まれたのは、客人好みの茶を茶師があつらえ出すことができたのも大きな要因でしょう。宇治茶が高品質のお茶を作り続け、その製法や伝統が今にも続くのは茶師の貢献度も高いと思います」と話してくれた。
時代が室町そして戦国時代から江戸時代に移ってもなお、将軍たちはみな宇治茶を好んだ。第三代徳川家光将軍のときには、幕府に献上するお茶を宇治から運ばせることを制度化し、宇治から大勢の採茶師が行列し江戸に向かう「お茶壺道中」が行われた。「お茶壺道中」は高貴なものを運ぶ行列として、将軍家の威光を示すものであった。将軍家好みのお茶をあつらえ、神輿のように担がれる茶壺にお茶をつめ、そして運ぶまでの一切を取り仕切るのも、幕府と茶師の仕事だったそうだ。
「当時の茶師は仕事をするときに白装束にわきざしを携えていたと聞きます。それだけ命懸けだったということです。五感をとぎすまし、最良の茶をつくることに心血注いできました。そうした茶師の文化もまた、宇治独特のものであり、この地が昔から良質な茶の産地となった歴史なのです」。
宇治茶の未来を見据え、新たなる歴史を刻むために
宇治茶が良質な茶の産地としてあり続けられた背景には、長い歴史や、その史実から生まれた独特の食文化がある。文化を知れば知るほど、先人たちから受け継がれていく、茶の製法が今も残っていることに驚きと感動を覚える。しかしながら、地方の農業共通の、後継者問題、人材不足、生活様式の変化によるお茶離れ……など、楽観できない問題もあるということもまた事実だ。
今宇治では、「山庄北村製茶場」の北村さんをはじめ、この日本が誇る宇治茶の価値を上げ日本のみならず世界に広げていきたい、そんな思いを持つ若手の農家もが現れはじめているという。そんな彼らの挑戦は、宇治茶の歴史のページのなかに新しい風を爽やかに吹かせるに違いない。
「4月から5月の茶摘みの時期には、宇治を訪れて日本が誇る食文化と歴史に触れてみてほしいですね」と北村さん。現地に行くことができなくても、新茶が出回るシーズン6月には、その年のできたてのお茶を味わってほしいと話す。
普段なにげなく飲んでいる日本茶を、“ここには先人たちが積み上げた叡智が詰まっている”と思いを馳せながら飲めば、一味違って感じるのではないだろうか。
撮影/大道雪代 取材・文/山路美佐




























