第137回:世界のミクニ
フランス料理の普及に貢献し、2013年、フランソワ・ラブレー大学にて名誉博士号を授与、2015年、フランス共和国より「レジオン・ドヌール勲章シュヴァリエ」を受勲する三國氏。フランス料理が世界遺産に認定された当時の貴重な話や、和食が世界遺産に登録されるまでの知られざるエピソードに加え、大バッシングを受けたのちに世界各国でミクニフェスティバルを行うに至った経緯など、余すことなく語りつくす。
世界で4人に贈られた称号、美食学の名誉博士
――フランスの大学から選ばれたわけですが、どんな方がいらっしゃるんですか??
三國:スペイン、スイス、ベルギーの三ツ星シェフ、そしてアジアでは僕の4名が選ばれました。フランスが美食学というものをつくったんです。どうしてかっていうとフランス料理を世界遺産にしたかったんですよね。そのために、フランスのトゥールという小さな町の国立大学で研究をし、世界遺産に認定させるまでに至ったと。ファッションもそうですが、例えばシャネル。メゾンはココシャネルがつくったとしても、それからいろんなアーティストが繋いで、毎年スターを出していく。それは、フランス人に限らないわけです。だから今ほとんど純粋なフランス人がチーフデザイナーをやることは無いと思いますよ。それだけ、土場が広いというか、日本人であろうが中国人であろうが才能さえ有れば、彼らはそれを認めるというスタンスなんです。
逆境を好機にした「ミクニフェスティバル」
――三國さんは五大陸の最高級ホテルでフェアをされていますが、現地の人たちはそれを受け入れたというか、理解して、評価した。それってなんなんでしょう?
三國:僕は20歳から28歳までフランスで過ごし、フランスかぶれしていたんですよね。日本で15歳から始めて18歳で帝国ホテルへいきますとほとんど皿洗いしかやってないので、20歳からの8年が僕の料理のベース。だしのとり方や火の通し方などの考え方、スタイルは全部フランスの三ツ星なんですよ。それで帰国後に自分が日本人のアイデンティティで、味噌・米・醤油とか、盛り付けなどに日本を取り入れた。それがすごく新しかったんでしょうね。誰もが驚いたんですよ。日本では大バッシングでしたが(笑)。見た目は日本、でも食べたらフレンチだし、今から40年くらい前はそういうのが無かったんですよね。やっぱり世界は新しいものを待っていたんだと思います。