第143回:日本人オーナー初のミシュラン獲得までの道のり
マッシモ・ボットゥーラ氏の元での9年間を経て、いよいよ独立。イタリアはミラノに自身の名を冠した【Ristorante TOKUYOSHI】をオープン。わずか10か月でミシュランの一つ星を獲得した彼もオープン当初は酷評されていたとか?!そこから二つ星になるまで、そして、シェフを襲った病魔「舌がん」のことなど、惜しげもなく語ってくれた徳吉氏。病気で失ったもの、得たもの、そしてこれからシェフを目指す方へのメッセージをお聞き逃しなく。80歳を超えたおばあちゃんから料理を教わる、「4 hands dinner」にも注目です。
クチーナ・イタリアーナ・コンタミナータ(=混成)のその先に
――独立はなんでミラノを選んだんですか?
徳吉:一番インターナショナルな街だったのと、やりたい料理が正統なイタリアンではなかったのもあったのでミラノがその舞台にピッタリだと思ったんです。フュージョンではなく、混成。イタリアの食材を100%使って、日本の文化を表現したかった。器に日本のものを使って、イタリア料理をつくることで融合するというイメージ。自分のアイデンティティを忘れないようにという思いもありますね。最近は「混成」も浸透してきたので、今は「徳吉洋二の料理」がテーマです。
料理人を襲った「舌がん」
――正直、料理人として舌のがんは致命的な気がしますが、実際はどうでした?
徳吉:料理が無理なら何やろうかなと思いましたよね……なるべく明るく深刻には受けないようにしてましたけど。手術の前日も食べるなと言われていたのに祝杯あげてご飯も食べて(笑)。でも、術後1週間は辛かった……モルヒネで痛みをとるんですけど朦朧として今何時かもわからない状態だったんですよ。料理本もたくさん持ってきたのに、読める状態じゃない。今思えば、少し休めってことだったのかな、と。幸い、手術だけで完治したんですよ。当時、妻のお腹には子供もいたので、感謝してもしきれないですね。
――舌の感覚、味の感覚に変化はあったんですか?
徳吉:それが驚くことに、前より(感覚が)格段によくなったんですよ、本当に。
「食」のバブルと「食」の未来
――昨今のベストレストランや食が注目されてバブルかなと思ってるんですけど、徳吉さんは今後をどう見ていますか?
徳吉:バブルはもうすぐ終わると思います。なぜなら、レストラン事体の経営も厳しくなる、人件費もあがりますし、家賃も高い。食材もなくなっていますし、食材も高騰します。そこで僕が考えたのが【アルテレーゴ】なんです。少人数の8席に対して4人体制のレストランしか生き残っていけないのかな、と。そして何よりも、“すごくおいしい”レストランがたくさんありすぎますよね。高くておいしいのは当たり前になってしまった。ミラノでも結構みんな飽きてきていると思います。だからコスパはとても大事。その辺りを考えると自ずと答えが出てきますよね。原点に返るというより、“興味があることを積極的にやる、できることをちゃんとやる”ということが、いま、とても大事だと思いますね。