後世に伝えたい、巨匠の一皿 | ヒトサラ
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ル・マンジュ・トゥー
- 料理人に必要なことは、感性ではなく、森羅万象を感じ取る能力だという谷シェフ。味と香りと食感という料理の基本条件を理論武装で実現する一方で、多岐にわたる知識や興味、人間として深みが、料理に幅と奥行きを加えている
- メニューはおまかせコース一本で、変化に富んだ6品が登場。ある日のメインは血のソースで楽しむ鳩のロースト
- 店は神楽坂の住宅街の一角。さりげない佇まいの外観は、飾り気はなくとも深みあるシェフの料理とも共通する
- 変化に富んだ料理に合わせるため、ワインのラインナップも多岐にわたる。バイザグラスも充実している
- 赤ワインで仕立てる『シカのコンソメ』は、濃厚な旨みと華やかな香り。シェフの実力が端的に表れている
40年以上に亘り追い求める
フランス料理という科学洒脱でキレの良い語り口調、飄々とした立ち振舞。谷昇シェフを見ると、研ぎすませた感性で料理を生み出す直感型タイプだと思うかもしれない。だがそれは間違いだ。氏ほど料理を多角的に捉え、そしてその本質を追求し続ける料理人はそういないだろう。酸や脂質、乳成分の特性とその作用。フランス食文化の歴史までにいたるバックグラウンドの理解。製法や漁法にまで広がる食材の知識。突き詰められた理論は、氏が「総合芸術」と称する料理の出発点となるのである。
一方でこれは、あくまで出発点なのだ。豊富な知識から、まず完成形の料理のイメージが生まれる。ここまでが科学の範疇。あとはそこへ到達するための試行錯誤の連続、つまり職人の域となる。たとえば赤ワインベースのコンソメ、あるいはねっとりと濃厚なオマール海老のムース。素材感を引き出しつつ、分離せず、形が崩れないギリギリの一点を見極めるため、火入れの温度や分量のバランスを変えながら何度も何度も試作を繰り返す。構想から完成まで10年を費やすこともあるというのだから、自らに課す試練の厳しさは並大抵ではないのだろう。
理論でスタートした料理のイメージを、妥協なき努力で具現化する。巨匠と呼ばれる現在でもなお失敗を繰り返しながら、さらなる高みを目指す。だから谷シェフの料理にはおいしさだけでなく、長く心に余韻を残すような深い魅力が詰まっているのだ。 -
みかわ是山居
- 『車海老』は頭と胴の二つに分けて揚げる。胴の揚げ時間は、およそ20秒。弾ける食感を残しつつ、中心の温度を人間の舌がもっとも甘みを感じるという45~47度にもっていく。一方頭はその数倍もの時間をかけ、香ばしく軽い食感に
- 内装づくりには数々のアーティストが結集。換気扇は、氏のトレードマークでもあるボルサリーノの形
- 〆に登場する『小天丼』。かき揚げにたっぷり入る貝柱のひとつひとつが絶妙なレア状態という、まさに職人技だ
- 『アスパラガス』は下部に包丁を入れて揚げることで甘さと旨みを、上部はサッと揚げて香りと食感を楽しませる
- 今は下町の住宅街だが、目の前は江戸時代の御成街道。古のメインストリートに店を構えるのも、江戸前の矜持
理を知り、技を磨き、半世紀以上
文化遺産の如き名人の天ぷらいまや日本を代表する料理として、世界的評価も確立された天ぷら。その源流をたどると、ひとりの名人に行き着く。早乙女哲哉。当代屈指と称される稀代の職人だ。
早乙女氏の天ぷらを支えるのは、理論と技術の両輪だ。油と水分の作用、澱粉質や糖度の変化、人が甘みを感じやすい温度帯。その知識は広く深く、さながら科学者のような視点で天ぷらを分析する。そしてそんな理論を支えるのが、長年培った技術だ。
15歳ではじめてカウンターに立ってから古希を迎える今年まで一日たりとも休んだ日はないという早乙女氏。瞬きする間に海老の殻が剥かれる。音も立てずに野菜に包丁が入る。流れるように粉が振られる。その無駄のない所作は、まるで伝統舞踊を見ているようでさえある。そうして生み出される天ぷらの、なんと素晴らしいことか。穴子の身がこんなに甘いことを、海老がこれほど食感豊かなことを、新たな驚きとして実感させてくれるのだ。
油を前にした早乙女氏は、厳しい職人の顔。「おいしいです」の言葉に「そう揚げてるから」なんて返されると、面食らってしまう人も居るかもしれない。だが、断じて偏屈なわけではない。自信に満ちた振る舞いは、自らへ課すハードルでもあるのだ。「5年後、10年後に、今以上の仕事をしたいからね」と、さらなる高みを目指す名人。次はどんな天ぷらで驚かせてくれるのか、今後の期待も尽きない。 -
L'esprit MITANI a GUETHARY
- 20年以上、変わらずにつくり続けるレシピも多い三谷氏。この変わらない、常にぶれない料理こそが長く愛される秘訣なのだ。今なお、氏が感じたフランスでの感動を料理を通して伝えてくれる
- 『鶏モモ肉のココット蒸し』。じっくり蒸し焼きにすることで鶏の旨みがその他の食材へも染み込んでいく
- スペイン産のプーレジョーヌのほか、ウサギや羊、仔牛など肉はヨーロッパから取り寄せるものも多い
- ワインはローヌ地方のものが中心。「その辺の郷土料理が多いので合わせやすいです」と三谷氏
- 『魚のスープ』。濃厚な旨みを讃えるスープドポワソンは魚が3に対して1のアナゴを使うのがポイント
自身が味わった感動を伝えてくれる
変わらないフランス料理が常に待つ「向こうで食べた記憶を忠実に再現しているだけだよ。変わらないものがあってもいいと思って」
一昨年10月に、六本木ヒルズより四谷へと移転を果たした【レスプリ ミタニ・ア・ゲタリ】の三谷青吾シェフはそう、ゆっくりと話しだす。
恵比寿から、六本木、四谷へと店は移転を重ね、どのように進化しているのか問えば、そう笑うのだ。変わらないという矜持。それこそが三谷氏の料理だ。
スペイン産のプーレジョーヌ(赤毛鶏)は、ココット鍋に入れてゆっくりと蒸す。トウモロコシを与えて育った鶏からは、しっかりと旨みが染み出し、鶏のソースの中で一緒に煮込んだ野菜がぐっとおいしさを増す。もしくは氏の代表料理のひとつ『スープ・ド・ポワソン』であれば、鍋が焦げるほどに魚の水分を飛ばし、その焦げをこそぎとり旨みとして生かす。
レシピにアレンジも加えなければ、ましてや“自分流の味”という表現スタイルとは無縁なのだろう。そう、三谷氏の料理で表現されているのは、若き日の氏が過ごしたフランスでの9年の歳月。そこで出会い、感じ、味わった、フランスそのものなのだ。
「その味を楽しみにきていただくお客様がいる。だから、変えるわけにはいかないよね」
移転を重ねても常に変わらずに待っていてくれる。そんな氏の料理は、いつの時代もフランス料理とは何かを静かに我々に教えてくれるのだ。 -
Wakiya一笑美茶樓
- モダンチャイニーズの旗手として多数のメディアにも登場、中国料理の魅力を紹介してきた脇屋友詞氏。変わらず提供するのは旬の素材でつくる、体に優しい上海料理。根底には医食同源の考えがあり、滋味深さで多くのゲストに愛される
- 『あさりと菜の花のするするスープ』。食材同士が見事に調和。絶妙の火加減の卵は崩すとスープが滲む
- 『白魚とたらの芽の揚げ物』。これも春ならではの取り合わせ。サクサクと香ばしく、素材の滋味も活きている
- 『東坡肉』。梅山豚の美味しさを最大限に引き出すため、醤油、砂糖、紹興酒でじっくり煮込んだ逸品
- 赤坂とは思えないほど、落ち着きのある店内は、3フロアからなり、1階はテラス席も備わるメインダイニング
上海料理の伝統に、季節感を
盛り込み、比類なき美味を創造「横浜で20年、赤坂でも、もう15年。本当にあっという間でした」。脇屋友詞氏がそう振り返ったのはこれまでの日々。横浜【トゥーランドット游仙境】の総料理長に就任したのは1996年。オーナーシェフとして赤坂【Wakiya 一笑美茶樓】を開いたのが2001年。それは、日本におけるモダンチャイニーズが歩んできた年月そのもの。今では当たり前になった中国料理の手法には、脇屋氏に端を発するものが少なからずあるのだ。
料理は大皿でなく、銘々皿に盛り付けて美しく。五味(甘味、苦味、酸味、塩味、旨味)を意識して、コースは調和のとれた組み立てに。繊細な香味を表現すべく発酵食品や香辛料、ときには茶葉まで巧みに用いて。
革新を続けてきたが、自らの中に変わらずあった軸は上海料理という伝統。その土台の上で常にブレることなく挑んできたからこそ、数々の料理は時代を越えて新鮮に映り、多くのフォロワーまで生み出しているのだ。
そして、伝統とともに大切にしてきたのが、季節感だ。国産で旬を迎えた食材を積極的に用いているのは、そのためで、だから脇屋氏のスペシャリテは季節ごとにある。春なら、例えば『あさりと菜の花のするするスープ』。アサリは身もぷっくりと大ぶりの愛知・三河産。菜の花は千葉のいすみ市産。王道の『東坡肉』も、付け合わせで早春を演出。今回は、新タマネギとフキノトウで、溶け始めた雪の中から芽吹く様を表現した。可憐で美しい、その皿に、続く挑戦の現在が宿る。 -
Chez Inno
- 今から40年ほど前に井上氏が考案した『仔羊のパイ包み焼き“マリアカラス”風』。個性豊かな素材をペリグー・ソースの味わいが見事にまとめ上げる。美しいロゼ色をした仔羊の火入れ加減も出色
- 現在厨房の指揮を執るのは料理長の古賀純二氏。井上氏が信頼を置く【シェ・イノ】ひと筋30年のシェフだ
- 『舌平目のムース詰め “アルベールソース”』もまた、井上氏のスペシャリテともいえるひと皿
- 『オマール海老と野菜のガトー仕立て』。タラバガニのカクテルを添え、野菜のピューレやウニのソースでいただく
- 天井が高く開放的でありながら、落ち着いた雰囲気の店内は、大人の社交場と呼ぶに相応しき空間
日本のフランス料理の礎を築き
今なお愛され続ける伝統のひと皿ソースが命ともいえるフランス料理にあって、このひと皿にはひとつの完成形がある。『仔羊のパイ包み焼き“マリアカラス”風』が誕生したのは今から35年以上前、オーナーシェフの井上旭氏が【銀座レカン】の料理長を務めていた頃だ。当時、日本で羊肉と言えばジンギスカンが知られていた程度で、そのクセのある味わいはまだまだ受け入れられていなかった時代である。そんな食材に井上氏は真っ向から立ち向かい、日本のフランス料理界に新たな息吹をもたらすだけでなく、このスペシャリテは現在まで数多の食通や料理人に賛嘆を受けてきたのだ。
その理由が、井上氏の代名詞ともいえるソースにある。フォアグラや、トリュフ、シャンピニオンディクセルを挟み、パイ生地で包んだ仔羊に寄り添うのは、フォンにマディラ酒などを贅沢に使って仕立てたペリグー・ソース。
その味は、複雑な香りと風味を感じさせつつも実に深淵なる香味があり、旨み溢れる仔羊、濃厚なフォアグラ、芳醇な香りのトリュフといった個が際立つ食材に調和をもたらし、溶け合っていくのである。
食材や調理法の柔軟化、多様化が進み、素材をシンプルにいかしたフレンチが蔓延する昨今。だが、【シェ・イノ】の料理は、決してぶれることがない。ソースのスペシャリストである井上氏が築き上げた料理は、これからも変わらず日本のフレンチ界に君臨し続けるに違いない。
※このページのデータは、2016年4月上旬取材時のものです。メニュー、営業時間、定休日などの情報は変更されることもございますので、あらかじめご了承ください。