第30回:チケット一枚で渡仏
三重【ラ・メール】、東京【カーエム】での修業を経て、フランスに行く必要性を感じた岸田シェフ。26歳のときに航空チケットだけを手に、宿泊先すら決めずに向かったフランス。5年間ものあいだには、決まっていた未来なんてひとつもなかったが、そんななかでもブラッスリーから一ツ星、二ツ星、三ツ星と自分が見るべき世界、学ぶべき料理をしっかりと見続けた。そのなかで最後に行き着いた店、【アストランス】。岸田シェフはこの店で、現在のスタイルに大きく影響を与えたというシェフ、パスカル・ガルボ氏と出会う。【カンテサンス】のイメージは、すでにフランスにいる頃から固まっていたという岸田シェフ、フランスで何を得たのだろうか。
好きな料理と星の数は比例しない
――フランスでは何カ所ぐらいお店を移りましたか。
岸田:パリで3軒。それから南仏に1軒行って、最後にパスカル・ガルボさんがオープンした【アストランス】というパリの店に戻ってきました。
――次の店に行こうっていうのは、自発的に動くわけですか。
岸田:そうですね。最初はブラッスリーで働いていたのですが、次に一ツ星、その次に二ツ星。で、最後に三ツ星という風に全部回りました。星の差は何かっていうのを、自分自身で見てみたい、感じてみたいというのがありまして。そこで気づいたのは、好きな料理っていうのと星は必ずしも比例しないっていうことです。三ツ星まで働いたあとに、最後に【アストランス】っていうお店で働きましたが、当時まだ一ツ星しかなかった。でも「今働いている三ツ星よりも美味しいな」ってずっと思っていて、三ツ星を辞めてでもどうしても働きたくて、何度も食べに行きお願いをしました。
【アストランス】パスカル・ガルボ氏の魅力
――【アストランス】で、一番良いと感じられたのは、どんな部分ですか。
岸田:すべてのクオリティが全然違うと思っていました。本当に小さな店なんですけど。20席ちょっとしかないような。でも、食材も三ツ星より良いものを使っていたし、技術も非常に高かったです。最初、ついていけないぐらいレベルが高くて。
――圧倒的な技術の差っていうのは、どこにあるのでしょうか。
岸田:パスカルは元々【アルページュ】という三ツ星レストランで二番手を5年くらいやっていた方なんです。【アルページュ】のアラン・パッサールさんは低温キュイソンといわれる低温調理法を考案し、一番基礎となる部分を初めて発信した方ですが、当時、実際にそれを店で調理していたのは肉の担当者だったパスカル。必要ないことは一切しないし、必要な部分にはすごい時間をかける。いわゆるセオリーとは違ったやり方をしていましたね。衝撃的な違いがありました。