米作りに半年。酒造りに2ヶ月さらに酢にするのに1年。静かな発酵の力が生み出す本物の酢の力
日本三景で有名な「天橋立」がある町・宮津。京都とは言え、市内中心地から北へ、電車に揺られて約2時間。東西に連なる大江山連峰を背に、若狭湾を囲むように広がる景色は、のんびりとした漁港の町という風情が漂う。ここに明治26年から代々続く老舗【飯尾醸造】がある。訪れるには、宮津駅から車でさらに約10分の場所にもかかわらず、今では年間3,000人以上もの美食家や料理人たちが、ここを目当てに全国から訪れる。予約すれば蔵の見学ができるというので、食事の前に足を伸ばした。出迎えてくれたのは、五代目・飯尾彰浩さんだ。
潮風に乗って、ふわりと流れる酢の香り。飯尾さんの案内で、蔵へ足を踏み入れると、より濃度を増した酸っぱいけれどまろやかな香りに、空腹感が刺激される。ご存知のように、酢は米を発酵させて酢もともろみ=酒を作り、さらに発酵を進めて醸造する。【飯尾醸造】では、昔ながらの手法を守り、最低でも100日以上、長いもので約200日はかかるという古式の静置発酵を採用。静置発酵とは、タンクの中で表面に浮かんだ酢酸菌が発酵し、アルコール分を酢に変えるのを、辛抱強くじっと待つ製法だ。酢酸と水が自然に調和することで、まろやかで旨味の多い酢ができるという。こうしてじっくり発酵させた酢を熟成蔵に移し、さらに240~300日。その間も5回以上の移し替えを行い、より芳醇な香りと味わいを持つ純米酢へと育てるのだ。「こんな手間のかかる作り方をしているのは、日本でうちだけ。どこを見てもらってもかまいません。真似もできませんから」と、企業秘密とも思える製造の場を堂々と公開している。
「いい酢はいい米から」の信念を元に、昔ながらの製法にこだわり、伝統を守る
この酢をつくる重要な要素の一つが“いい米”へのあくなき探求心だ。話は三代目・飯尾輝之助さんが当主を務めていた頃に遡る。時代は高度成長期、毒性の強い農薬が散布された田んぼに、食の危機を覚えた輝之助さんは、一軒ずつ農家を訪ね、2年かけて山の棚田で無農薬の米作りをしてくれるよう説得。高齢化で農家が引退を決めた際には、その棚田を借り受け、蔵人たちによる米作りも始まった。通常、酢の原料は古米が一般的だが、ここでは自分たちの田んぼで収穫した新米だけを使用。さらに他社の農薬米が混じらないよう、精米まで自社蔵で品種ごとに行う徹底ぶりだ。
一通り見学を終え、店頭に戻ると、陳列された酢の希少性が一層身にしみる。最初は少し割高に感じた価格も、お値打だと思えるほどだ。こだわりの無農薬米を、通常、米酢と表記できる量の8倍も使用し、だしを入れたかのような旨味とやさしい香りを実現した「富士酢プレミアム」をはじめ、野菜を漬ける「ピクル酢」や、やまつ辻田の山椒とセットで餃子を美味しくたべる「チャオ酢」など、食のアクションをそそるラインナップに、あれもこれもと欲しくなる。これらを企画した五代目の彰浩さんが、次なる展開として、自慢の酢を通じた町興しを実現すべく開店させたレストランこそ、今回目指す【アチェート】だ。
力強い丹後の恵みを存分に堪能できる「酢ありき」のイタリアン
「田舎では、一軒の店で町を変えることができる。丹後は素晴らしい食材があり、手間ひまを掛けたうちの酢を使った料理を出す上質なレストランをつくって、そこを目指して人が集まる場所にしたい。新しく生まれた人・物の流れは、街の活性化につながるはず」。飯尾彰浩さんはそんな信念を抱き、築120年の古い日本家屋を、地元で設計や家具屋を営む学生時代の先輩、建材屋として活躍する友人と組んでリノベーション。欄間や建具など、できるだけ当時のものを生かし、和モダンなレストランにつくり変えた。
核となる料理人には、東京で働いていた重 康彦シェフが就任した。シチリアで腕を振るった経験を持つ、確かな料理の技術とセンスを見込んで、飯尾さんが口説いて招致したのだ。「海に面したシチリアの料理は、どこか丹後の食に通じるものがあると感じました。何より20回ほど重シェフの料理を食べて、これなら人を呼べるという確信もあった」と彰浩さん。営業は、ゆっくり食事を楽しんで、丹後に泊まり、観光も満喫してほしいとの思いから、ディナータイムのみ。フルコース7,000円のほか、少食の人にメイン抜き、甘いものが苦手な人のため、デザート抜きなど、選べる3コースを用意する。
一品のポーションはボリュームがあるが、イチジク酢でアクセントを効かせたカポナータや、富士酢プレミアムを煮詰め、熟成したバルサミコ酢のように仕上げた濃密なソース、マリネした柑橘類など、メリハリを効かせた味わいにペロリと完食できる。さらに満腹感がありながらも、すっきりした食後感は、上質な酢を生かした発酵料理の賜物だろう。
丹後のワイルドな食材にラテンの血が騒ぐ?!
東京で20年の経験を経て丹後に移住した重シェフ。「都会はメニューありきで食材を揃える。だけど、こっちでは手に入る食材から料理を発想するしかない。例えば漁港へ出掛けて、漁師さんが思いもよらない魚を勧めてくれたり、農家さんがフキノトウをくれたり。そこから何作ろう?って。とにかく仕入れ任せだから、最初はメニューも書けなかったくらい。瞬発力が試されます」と、初期の戸惑いを振り返り、笑う。「力強い食材を、美味しく調理して付加価値をつけるのが料理人の仕事。そういったときに酢はいい調味料だよね。シチリアでは“アグロドルチェ(甘酸っぱい)”という料理があるからイメージしやすかった。例えば酢でマリネして、ローストしたりとかね」。今では、丹後の食材が持つ鮮度やワイルドさを武器に、上質な酢をふんだんに使うことで生まれる新しい味覚のバランスも楽しんでいるようだ。
力強い素材の味わいに、酸味のパンチを随所に効かせた発酵イタリアンは、一年を経て地元の人から遠方のゲストまで引き寄せる求心力を発揮している。かたや、酢のシュヴァリエとも言える飯尾彰浩さんが提案する「紅芋酢ビール」なども評判。最終目標として、敷地内の蔵で鮨屋を開店する計画を進行中。飯尾醸造の蔵見学と合わせて、丹後で発酵の美食巡りが叶う日も近そうだ。
アチェート
電話 | 0772-25-1010 |
住所 | 京都府宮津市新居浜1968(MAP) |
営業時間 | 18:00~20:30(L.O.) ※予約受付は13:00~ |
定休日 | 月曜、火曜 |
コース | 4,500円~ |