第128回:あの【肉山】ができるまで
ホルモン屋が軌道に乗り赤字知らずの経営が続いていたころ。当時42歳の光山氏はまだ若いし引退する年でもない、また何かやってみようと新たな旋風を巻き起こす。思い立ったら即行動の光山氏。彼らしさ全開の第一歩は「とりあえず物件借りよう」から始まった。そこから予約のとれない人気焼肉店【肉山】ができるまでのエピソードとは。
僕が肉って決めたら肉。
光山:今までは、お客さんに焼いてもらい、最終調理を彼らに委ねていたので、今度は自分でやろうと決めました。僕が現場に入って、まず店が僕を縛ると(笑)。そうすると必然的に僕の出費が減りましたので、売り上げもそんなに気にせず楽しくやれましたね。ホルモン屋のお店を卒業した人、引越しなど色んな事情で来られなくなった人、正直、飽きたよという人もいらっしゃったので、「オーナーが戻ってくるんでお客さんも一緒に戻ってきてくれ!」というコンセプトで始めました。では、何を焼こう?やっぱりお肉をだ!と。ただお肉といっても、牛や鶏肉ではなく、僕が肉って決めたやつは何でも肉でしたね。例えばマグロを食べたり、大きい平貝など食べると、「お肉みたい!」って言いますよね。“肉質感”というのでしょうか。よし、それでいこうと。もうこの分厚いウナギは肉だなと(笑)。
当時は珍しかった、木箱で提供する“赤身肉”の特別感
――それはそうと、何で赤身だったんですか?まだ霜降りもブームでしたよね?
光山:うーん、ブームっちゃブームですけど塊で焼いて、きちんとおいしいものを提供したいと考えた時に、赤身だったんです。自分も歳を重ねたところだし、だんだんそういう人達の方がお客さんも増えるかなって。年齢的にもね(笑)。
――A5ランクは要らないと。この木箱スタイルもSNS映えしますよね。
光山:試食会を開いて色々試したんですが、最初は肉以外も焼いていたんですよ?でも牛肉の赤身肉なんかを焼くと思いの外反応がよくて。どの席も肉ばかり提供するので、1席ずつ木箱に入れて「今日はこれでいきます!」と見せるようにしたんです。そしたらお客様も喜んでくれて。「肉山登山」という言葉も僕は一切使ったことがないんですが、お客様がそう盛り上がってくれたんですよ。